第四回/7月3日
7月の声を聞くと共に,古代高句麗人がお祭りの準備をしている気配がします。目に見えない世界では、記念すべき時をお祝いし、道を切り開こうと、今までにない動きが始まりました。魂の表現は魂に響きます。時を知る人は動き集う講演会は正に記念すべき時となりました。新しく始まる世界伝説に向けて真実が明らかになります。真が現れる時代となりました。現代社会は人間の生命が物のように扱われ、魂が失われています。魂ある人ははたらけない状況を創っています。自分の生命が物のようになってしまった人間は人も物のように扱ってしまいます。物と物とを動かすように人間を動かし、管理していく事がこの世とされました。ふとサラリーマン根性という言葉を聞きました。魂なくし生きなければならない根性とは一体なんなのでしょうか。生きている時間も生命も使われ、悲しい人生です。私は子供の頃からお金の為に魂を失った事はありません。この世の通例に従わなければならない時に,内から魂が語るが如くに「そんな事をしてまで,生きていくことはない」という声が聞こえます。人間にとって最も大切な精神を常に教えてくれます。礼儀も半端ではありません。現代社会では礼儀も何もない人の有り様に悲しみを感じる事が多いです。腹立たしくもあります。けれど私と共に在る魂は先を創り人間として最も大切な魂を失う事だけは生きている意味がないことを教え続けてくれました。高句麗の地、五女山城、丸都山城に行くと、高句麗人の潔い精神にふれ、心地良い風が吹きます。潔い事は美しいです。白黒はっきりとし、先を作る事に集中していく生き様に身が震える程に感動します。白黒はっきりとし、常に瞬間瞬間、判断、決断し生きていく道を創らなければ生きられない世の中であったということは自然からも吹く風からも大地からも空からもわかります。
天とひとつで生きる事なくして生きていけない事もわかります。今年の5月に五女山に行った時に、住居跡に立つと、恐怖で身が震えました。厳寒の時も山の上で暮らさなければ生きていけない状況は,時代の厳しさを肌で感じ、悲しい人間の歴史に涙が込み上げます。厳しい時代にあり、新しい世界を創ろうと高句麗が生まれたのです。王は天帝の子です。天意を受け、生きる世界を作ります。天意をわかる王なくして生きていけないことを知りました。天意を受け生きる真のリーダーと共に生きる事により恐怖から抜け出せた事も大地は語っています。天意を受け生きる事、天意を受け生きる王と共に生きる事を私は幼い時から知っていました。いだきしん先生に出会わせて下さり、いだきを始めさせて戴き、どんな時も魂を貫き生きるように導いてくれた魂です。失う事も売る事も到底出来ません。私はいだきをさせて戴くように生まれついていたと深く感謝します。常に夢のお告げ、風の声に魂の声を聞き、道を開き生きてきました。今、東明王に導かれ,私はやっと片割れと呼んできたロシアの地に参ります。どれ程待ってきたことでしょう。元々ひとつであった人間が引き裂かれる事の悲しみの深さを私はこの身を持って知っています。声にもならない叫びは心の奥深くに隠し続けてきました。昨年の10月にアルメニアにて宇宙の生まれる3段階前の世界が開かれ、隠し続けてきた悲しみ、叫びは扉を開けられるように、表に現れました。胸の奥深くから聞こえる慟哭に身が震え、魂が震え、どんなに泣いても震える我が身を持って、歴史の悲しみの深さは私が考えているようなものではなく、想像すら出来ないものであるとわかります。この悲しみが自分の中から無くなっていく時に私はどうなっているのでしょうか。ロシアへの道は新しい自分に成る道と感じています。あまりに長い年月の悲しみは、我が身となっているのです。悲しみが解かれる時、ロシア高句麗伝説コンサートは人類の悲願が成る時と感じます。永遠なる精神を丸都山城で経験しました。一歩一歩確実に共にありながら、道を創ってくれた魂と共に平和の扉を開いて参ります。永遠なる魂共にある人生に感謝し、世界伝説を創っていきます。
第三回/6月30日
ロシア、サンクトペテルブルグのホテルの部屋は我が家のように寛ぎ、心が安まります。外は大雪ですが、部屋の中のぬくもりが身に沁み、心温まる雪の夜に私の心は喜びに震えます。この日が来る事を想像もしませんでした。ほのかに生まれるときめきに未来は開かれる予感が生まれます。ドフトエフスキー博物館のご縁でこの地に来る事が出来ました。博物館にて触れた空気は文学の香りがしました。好きな香りです。木のお部屋に木の机、木のテーブルに木の食卓、書棚。。。全て素敵です。ここに居ると生きている事の豊さに心が満たされます。私は日本に帰ったら、文学の香りがする部屋を作ろうと考え,心がときめきます。アルメニア、パリとまわり、日本に帰国した私はすぐにロシアの香りがするテーブルと椅子を買い揃え、ロシアの香りに包まれ、生活し始めました。毎夜生まれる言葉を書き進め、豊かな日々がうれしくありがたく、幸せでした。何とも言えずに心地良いのです。
2008年、アルメニアでの高句麗伝説コンサートにて宇宙の生まれる3段階前の世界が開かれました。新しい時代の幕開けです。ここからモスクワへの道が開かれました。今年3月にモスクワに初めて降り立ちました。雪がちらつく大地に立ち、夢のお告げで見せられたロングコートを着て、フードを被り、ホテルへ向かう車を待っていました。思わず満面の笑みを浮かべる私を見た美しいロシアの女性が、私と同じようにフードを被り、ロングコートをはおり、満面の笑みを浮かべて私を見ていました。瞳と瞳で喜びの挨拶を交わしました。親しみを感じ、思わず涙ぐんでしまいました。モスクワのホテルも落ち着く木のぬくもりに包まれたお部屋で我が家にいるように過ごす私です。木の壁に包まれ、何処に居ても生きている事の豊かさに感謝の気持ちが生まれます。
モスクワ市庁舎にての記者会見の時、[ロシアに来て何を感じますか」と尋ねられ,私は[春を待つ喜び」と答えながら、涙声になっていました。胸の奥から込み上げてきました。「今のロシアの気候は、春でもなく、冬でもなく、良いシーズンでもないのに、「春を待つ喜び」と答え、涙ぐんだプリンセスがとても印象的であった」と共にいた女性記者が驚き、共に涙ぐみ、親しみを覚えて下さいました。言葉だけが通じないだけで、ずっと前からの親しい身内のようです。魂の出会いを感じ、心が温かくなり,幸せでした。様々な問題があり、あきらめようとしていたモスクワコンサートでしたが、魂の導きであることは明らかでした。どんなに人間が潰そうとしても生きてくるのです。既に道は敷かれていることに計り知れない導きを感じます。
魂の導きにより決定したモスクワでの高句麗伝説に向かい、私は念願の春の五女山に行く事が叶いました。新緑の海と見える五女山の美しさは魂震えます。愛しいふるさとの地にいながらも体制の不自由さに頭を押さえつけられている苦しみを感じ、葛藤が生まれる自分自身の状態を考えました。抜け出せずに,集安に移動し、大好きな好太王の地にいても時折心が陰る事を気にしていました。精神状態が良くないのです。これは何かを乗り越えなければならない時が来ていると感じ、其の時が来る事を恐れながら待っていました。時はきました。丸都山城に登るといだきしん先生がおっしゃいました。私の心は乱れます。山登りは一番苦手と感じており、抵抗し続けました。けれどいだきしん先生は好太王も長寿王も力を貸してくれるとおっしゃいました。大好きな高句麗王に会える事に心ときまきながらも、現実の不自由な体制に苦しむ感覚が邪魔します。行く道はひとつです。生命の光景を見ると、時間を超えた世界で俊敏に動く高句麗軍団が見えます。時間を超えて生きていかなければ、これから先はないとわかり、心を決め、備えました。魂の導きにより、何の苦もなく、無事に登りきり、大きな山を乗り越えました。生まれ変わって山を降りてきました。新しい自分が生まれています。なんでも出来る意欲に溢れ、恐いものなしです。私は変わりました。永遠なる高句麗に出会いました。世界伝説のはじまりです。永遠なる魂、精神は世界の伝説を生み出します。平和な世界実現も夢ではありません。胸の奥深くで再び出会う事を望み生きてきた、片割れの地と呼んできたロシアの地にて世界伝説を開催出来る導きに魂は震えるばかりです。みんなで会いに行くのです。
その日に向かう今。。。
第二回/6月28日
ブルガリアにて次はロシアとはっきりと道が引かれた事を見た私は、ロシアへの道を作りながら、12月に3度目の正直が叶い、高句麗古都集安に行きました。集安も行く前の日にキャンセルせざる負えない事が起こり、3度目にやっと叶いました。いだきしん先生は、よっぽど何かがあるか、よっぽど何もないかだね、と笑っておっしゃいました。集安には、有名な好太王碑があります。零下20度の厳寒の中を歩いていると、心静かになり、何も余計な事は考えずに、必要な事に集中します。ふと、生命賭けた戦は勝つことより生きる道なし、という言葉が聞こえました。心静かでなければ、戦に勝つ事は出来ない事も生命でわかりました。好太王碑での私は何もなくて、すっきりとし、すぐに動く動き方が身に付き、軽快で気持ち良い感覚に至福感に満たされました。最も私らしいと感じました。以外な自分でした。けれど本当は分かっていたのかもしれません。わかっていながら、誤摩化していたようにも感じます。この感覚だったら、何でも出来ると力が湧いてきます。私は高句麗を一挙に拡大した若き王、好太王が大好きです。私と共に動く人は私は最も好太王的だと言います。憧れの好太王に似ていると言われるだけで、喜びで一杯になります。日本に帰った時にいだきしん先生が、好太王陵に立つ私を撮って下さった写真を見せて下さいました。私は心臓が「ドキツ」とし、一瞬時間が止まったように時空を超えた世界にいました。会いたかった人に会えた喜び、悲しみが全身を貫き、感動の波が全身に押し寄せます。幸せなひと時です。春風が吹いています。ふと気づくと、目の前に映る会いたかった人は私でした。最も会いたかった人は真の自分だったのです。私の人生は決まったと感じ、世界に出て行く道が見えました。真の自分は世界に向かう自分です。準備が出来たと感じていたにも拘らず、高熱により倒れ、ロシア行きが変更になり、私は深く考えました。それも体の都合で変更したのです。いだきを始めて、一度もなかった事が起こり、大変戸惑い、考えました。これは全く生まれ変わらなければと、覚悟を決め、次の3月にロシアに行く日程を組み、備えました。けれど、不思議な事に私は、ある時に偶然にもロシアへ行く時の為に探していたロングコートに出会いました。これでロシア行きが決まるとはっきりと見えました。見えた通りに其の直後にロシアのアポイントメントが決まったのです。その日が1月でした。私が出会ったコートはおしゃれコートであった為に、寒さには耐えられない素材である事が出発前にわかったのです。出会ったものだけれど、着てはいけないと不思議な気持ちでいたのですが、高熱の為に変更し、3月には、このコートがちょうど合う気候でした。私はこのコートを着て、無事にロシアの地に立っていました。見えていた光景そのままです。サンクトペテルブルグの地に降り立った時、恐いと予想した地とは全く違い、私は懐かしさを覚えました。よく知っている地でした。きっとご縁があることは魂の導きでわかりました。家に帰ってきたように寛ぎ、心がやすらぎます。木のぬくもりに包まれて、温かいのです。外は大雪です。窓のカーテンを開けると、真っ白な風景が広がります。思い出した光景がありました。私は小学生の時に見たロシア映画、「ドクトルジバコ」が忘れられません。見た時から心に残っています。いだきを始めてから、偶然ですが、先生と見た事があります。白銀の世界から春が訪れ、広大な大地に一斉に花が咲く光景に涙が込み上げます。「ラーラのテーマ」が流れます。大好きな音楽です。学生の頃は毎日聞いてきました。ふと先生が主人公のラーラは私に似ているとおっしゃいました。どのように似ているかをよく理解しませんでしたが、うれしく感じ、心がときめきます。その後随分経ってから、真の自分をわかりたい気持ちで、冬の寒い夜に一人でもう一度、其の映画を見ました。白銀の世界から花が咲く光景に、胸の奥深くから慟哭が込み上げてきます。涙は嗚咽となり、胸が苦しく、私は気が狂うのではと感じ、恐くなりました。窓を開けて深呼吸しても胸の苦しみはとれず、ただ涙ばかりが込み上げます。胸の奥にある魂の存在を感じ、私は胸の奥の苦しみをそのまま言葉に書き出しました。「愛」という詩です。生まれるがままに書き続け、やっと胸の苦しみが消えていきました。泣いて泣いて書き続けた「愛」の詩は私の魂の詩です。意識せずにブルガリアでの高句麗伝説の時に詠んでいたのです。「愛」の詩の舞台はロシアです。やっと表現出来る時がきたのです。表現出来、ロシアへの道が開かれました。
サンクトペテルブルグからモスクワに行きました。アルメニアヘの乗り継ぎの為です。飛行機の中で心が浮き立ちとても楽しかったです。飛行機の中が楽しいなんて滅多にない私ですから、何かが始まる予感に心がときめくのです。モスクワに着くと、外の風景が又懐かしいのです。よく知っている風景なのです。帰ってきたという気持ちになるのです。魂とは不思議なものです。この地もきっとご縁があるとわかりました。
今年3月に始めてモスクワの街に降り立ちました。やはり、よく知っている街でした。魂の導きにより、高句麗伝説コンサート開催が決定しました。既に決まっていたように感じています。どんなに人間が邪魔しても争っても決まっていくのです。世界の平和の為に必要なのです。人知を超えた所で決定しました。私達人間は実行していくことで道を作れます。ある計り知れない存在、力、全てが総動員で平和を作ろうと働きかけて下さっています。
愛 高麗恵子/詩
妖精がくる国
愛が悲しみとなる大地
長い長い白銀の世界がおわり、
大地が光輝き
やがて、花が咲きほこる春が訪れます。
愛が実らぬ運命を持った民族は、
3度生まれ変わることに夢を託し、
森と話し、花とほほえみ合うことによって
悲しみからいやされることを望みました。
木から生きることを学び、
花から、
やがてくる春を待つ
よろこびを学びました。
長い長い冬がおわり、春が訪れても
人間の愛は、いつも悲しみでおわりました。
人は、風の声を妖精のささやきと感じ、生まれ変わることによって
愛を実現しようとしました。
愛を妖精に託し、
風にのって天に伝えてほしいと祈りました。
2000年がすぎました。
緑の島 愛が生まれる大地に
妖精がはこんだ悲しみの芽が宿りました。
木の精が悲しみの芽を育み、
花の精が生命を注ぎます。
そして
悲しみの大地から光が生まれました。
人間は、光と出会うことによって、
木の声も、風のささやきも、海からの声も
聞こえるようになりました。
人間は、こころの声を聞き、こころとこころで
会話をするようになりました。
その時、はじめて妖精はことばを話しました。
「海によって、国境によって、異なった言語を話す
民族という壁によってへだてられていたことが、
わたしのこころをひきさいてきました。
もともとひとつであった生命が
何故通じ合えないのかと・・・・・・
泣いても泣いても尽きぬ悲しみを、
わたしは海をこえて伝えにきました。
今、ふたたび出会えたよろこびを
音に託します。
どうかあなたのこころに伝わりますように・・・・・・」
第一回/6月26日
胸にある悲しみ、喜びの源を辿れば、幼い頃から胸の奥深くに輝くピンクの光に行き着きました。ピンクの光は母の胎内に発生した時の真の自分を表す光です。
幼い頃から、胸の奥深くを感じると、引き裂かれた悲しみに、慟哭します。幼い子供が慟哭する姿は周りから見ると理解出来ないものでした。私はいつもひとりぼっちでした。いつかこの胸の空洞を埋める片割れに会える時が来ると未来に夢を馳せ生きてきました。24歳で余命2ヶ月と言われる死の淵にある時にいだきしん先生に出会え、生命生き返る経験をさせて戴き、今があります。いだきしん先生はある日,私に尋ねました。「何処の国に興味を持っているの」との問いかけに、私は「ロシア」と答えました。当時ロシアはソ連でしたが、私はロシアと答えました。高句麗は騎馬民族と言われています。騎馬民族の発祥の地はロシアのバイカル湖とも聞いています。何が私の心を引き寄せるのかを私はわかることなく、年月が過ぎ、今再び思い出したようにロシアへの郷愁が湧いてきます。
2007年,5月、シリアでの高句麗伝説にて高句麗始祖東明王が私の内に生き変わり蘇る経験をしました。私は3月にシリアのエブラ王国跡に行った時、突風が吹き抜け、吹き飛ばされそうになりました。かろうじて、大地に足をつけ、風が通り過ぎるのを待っていました。宇宙の彼方から「宇宙の生まれる前の意志、現れる」と聞こえました。大変な事が始まる予感に身も心も震えたあの瞬間から、新しい時代は始まったのです。翌日、いだきしん先生の様子が変わっていました。いよいよ宇宙の生まれる前の意志が現れる時代となったのです。胸がときめき、日本へ帰り迎えたいだきしん先生のコンサートにて何もない世界を初めて経験しました。何もなくて、只ただ、心地良いのです。生きていく事は心地良い事を生まれて初めて経験しました。コンサートが終わった瞬間から体の異変に気づき、目の前が真っ暗になり、動揺しました。見た事もない程に大量出血が起こったのです。生まれて初めての事に動揺し、やっと家に帰り着きました。その日から一ヶ月過ぎても大量の出血は止まりませんでした。そのままに約一ヶ月の海外高句麗伝説コンサートツアーに出発しました。シリアではコンサート当日に更に出血がひどくなり、不安がありながらも天に任せ、臨みました。東明王が生き変わり蘇った事を自覚したのは、ブルガリアへ着いてからでした。自分の内に新しく生まれ変わった存在を明らかに感じていたのです。そうして迎えたブルガリアでの高句麗伝説コンサートにて、東明王の詩を詠んだ時です。頭の先から稲妻が落ちたと感じる程の衝撃が走り、目の前が真っ暗になりました。そのまま私は目をつむり、衝撃が去るのを待ちました。舞台に立っていることも忘れ、只ただ、何が起こったのかがわからずに、じっと立っているよりありませんでした。地球が動いたという表現より生まれませんでした。大きな衝撃に心臓は高鳴るばかりで苦しく、立っている事が精一杯です。会場の人は号泣しています。其の瞬間です。私にはロシアへの道が見えたのです。次はロシアとはっきりとわかりました。50日続いた大量出血は止まりました。私が自分に起こった経験を認識した時に止まりました。生命のはたらきに驚くばかりです。誰が何と言おうともこの経験だけは真であることを50日にわたる体の状態の変化で、自分だけは認めることよりありません。
すぐにロシアへの道を作ろうと動き始めました。ところがロシアへ行こうとすると、恐いのです。其の恐怖は尋常ではありません。体が震えるのです。一度行く日程を決めましたが、変更しました。年開けて1月の末に再度スケジュールを決め、行く準備をしました。いよいよ明日は出発という日に、私は高熱を出し、倒れました。いつもは高熱が出ても休まずに、はたらきます。が、この時は動く気にもなりませんでした。キャンセルせざる負えずに、全てキャンセルしました。いだきの仕事を始めてから初めて、体の状態を理由に変更しました。考えられない事です。どんなに苦しくても休んだ事も変更した事も一度もありませんでしたので、自分でも信じられない気持ちでした。これはよっぽどのことと自覚し、次は必ず行くと決めたのです。避けて通れない事であることは明らかでした。恐怖も尋常ではありません。何故と問う日々が続きます。