青い星を見たことがありますか。
17才、高校の修学旅行で東北へ行きました。夜行寝台電車に乗り、早朝青森駅に着いたのです。ホームにある水飲み場の錆びた水道の蛇口から水滴がひとつふたつ落ちていました。東北の空気は澄み、冷たいけれど清らかで、身が引き締まります。私は、十和田湖自由コースを選び、一日中十和田湖の畔で湖を眺めながら過ごしていました。私は、生きている意味を見い出せずに、いつも重い心を引きずるように生きている毎日が辛くてたまりませんでした。湖を見ているようでありながら、心はどこも見ていません。現実は辛いだけなのです。どこからともなく千円札が飛んできました。何故私の目の前に千円札が舞ってきたのかしらと思っても、理由などないのでしょう。傍らにいた友達は大喜びでした。これできりたんぽ食べようよと私に誘いかけてきました。私は、「きりたんぽは好きだけど、人のお金を勝手に使う訳にはいかないから」と答えると、友達はぷっと吹き出して笑うのです。「人のお金と言ったって、風に舞ってここに来たのよ。誰のものかわからないじゃない」
「わからなくても私のお金ではないわ」
「何、そんな真面目くさって、面白くないわね」
「神様がみているから」
「何言ってるのよ。馬鹿じゃないの」
又、喧嘩になりました。私と彼女は気が合う訳ではないのに、いつも一緒にいるのです。16才高校一年の年が終わり、3月の終わり頃、2人で京都へ行きました。お金がないので、電車にもバスにも乗らずに歩いて京都の地をまわりました。途中、パン屋さんでフランスパンを買って、賀茂川の土手に座り、笑いながら食べました。くたくたに疲れても、歩き続けました。大原の寂光院で、愛する人を待つ女の寂しさを感じました。
旅の最後に、湯豆腐を食べました。早春の京都は肌寒く、歩き疲れた後の湯豆腐を2人で喜んで食べました。お店を出ると、友達はお腹をかかえて笑っているのです。私はどうしたのと笑って聞くと、かばんを開けて見せたのです。湯豆腐を入れていた器が入っているのです。私が驚いていると、友達は笑って言うのです。「こんなの簡単よ。」私はこわくなりました。「万引きじゃない。返しなさい。」と言うと、友達は「いいじゃない」と言い、顔色ひとつ変えないのです。言い争いになり、私達は帰りは別々になったのでした。その後も、喫茶店に入れば、シュガーポットやコーヒーカップをかばんに入れてくるのです。着飾ることが好きでいつも一番でいたい彼女が、何故万引きをするのかを私は理解出来ませんでした。どんなに喧嘩しても、いつもその彼女は私のそばにいました。十和田湖でも喧嘩をし、私は一人、十和田神社へと歩いていったのでした。木が生い茂る暗い木立を一人歩いていったのです。突然、胸が重くなり、私は瞬間、生きていることに絶望を感じました。歩けば歩く程、気が重くなり、心は真っ暗闇に突き落とされたのです。死のうと思いました。生きていても何の希望もないと…気力が失せてしまったのです。暗い木立の中にある境内に行き着いた時、一人の巫女さんのような女性がいました。白い着物を着ていました。私は、死んでしまいたいと泣いていました。胸の内は、重くて苦しくて耐えられなかったのです。巫女さんは、何も答えず、そっと私を促したのです。私は、促されるままに歩いていくと、「ここから先は一人で行って下さい。下に湖があるから、湖まで行けば答えがあります」と言い、いなくなってしまいました。私は、促された方に歩いていくと、鉄の細い階段を見つけました。この階段を降りると、湖があるとわかりました。階段を降りていくと、あまりの狭さと直角に真直ぐに降りている階段を見るだけで足がすくみました。すべったら死んでしまうと思った時、どこからともなく聞こえるようでありながら、同時に私の内からつぶやいたのです。「死にたい人は、この階段をこわがらないでしょう。死ぬのがこわいのが本当の気持ち。」思わず笑っていました。そして、階段を降りることは止めました。死にたいと泣いて訴えた時、何ひとつ言葉を返すことのなかった巫女さんは、この事を教える為に、私をここに促したのだとわかり、心からお礼を言いたくて、私は急いで境内に戻りました。そこには誰一人いませんでした。私は、一生懸命辺りをまわり探しました。外の方にいらっしゃるのかと思い、来た道を戻りました。お土産屋さんの人に、十和田神社の巫女さんは、どこに行けばいらっしゃるのですかと尋ねました。そんな人はいないという返事が返ってくるのです。私は、奇妙な思いに襲われました。振り返ると、真っ暗な木立の中を何も考えずに一人で歩いてきたことまでもがおそろしくなりました。けれど私は、死ぬ気で湖の畔に降りようとし、どれだけ生きていきたい自分であるかをはっきりとわかったのでした。巫女さんに訴えたのも、生きていきたいからでした。そして今まで人に相談し、あの様に何ひとつ答えず、必死で階段を降りることにより死ねない自分と生きたい自分に気づかせてくれた人はいませんでした。
花巻での、星降る夜、私は夜空に輝く星を包むような青い光をみたのです。その青い光は、無数の星がひとつになった様な輝きを放っていました。私は青い星と呼んでいました。その青い星をみていると、胸の苦しみが消えていくのです。私は、恋しい人を思い出すような不思議な感覚が生まれ、涙で潤む瞳に映る青い星の輝きが心に灯る希望の光となりました。
暗闇の向こうには、無数の星が輝き、更にその向こうには、どこまでも透明で澄んだ美しい光を放つ青い星があるから生きていこうと誓ったのです。