蒼い風は、いつもどこにでも吹いています。
私が京都に行く時は、悲しい風となり、時を待ち、いつの日か明るい未来がくることを教えてくれます。
ある5月の美しい日、私は、蓮華が一面に咲く蓮華畑に座り、あまりにうれしくて、夢中で蓮華の花を摘みました。懐かしくてたまりません。蓮華の花は遠い昔が今にある様な香りに包まれ、私の心を惹きつけずにはいられません。蒼い風が吹いています。私は恋しさに胸がしめつけられ、夢中に蓮華の首飾りを作りました。作り終わった首飾りを見た時、私は、誰にあげるつもりで作ったのかと、ふと考えると、虚しさに襲われました。現実にいない夢の人を描いて喜々とし作ったことが全て虚しく消えていくのです。現実は虚しいと、胸がしぼんでいくのです。蓮華の花が風に揺れる光景は、何故こんなにも懐かしいのでしょう。あまりに懐かしく、涙まで込み上げてくるのです。ふと顔を上げた時、涙にうるむ瞳に映った光は、私が求めてやまなかった若草の香り漂う光でした。森の中から山道を歩いて来るのです。けれど目の前の山道ではなく、遠い昔の山道なのです。私は一遍に胸がふくらみ、立ちあがり、一目散に山道に向かい歩きました。ここはまるで古の世界。一日の働きを終え、この道を歩き住居に帰り着こうとする、ほっと心和むぬくもりがあり、何人もの人を連れだって、歩いてきたのです。私を見るとにっこりと微笑みました。その瞳は、娘を見る父の瞳でした。けれど、恋しい人の瞳でした。昔からずっと知っています。この香りが漂うと、私は、会いたい人に会える予感に胸がふくらみ、心がときめきます。
すれ違った時、若草の香りに包まれました。そして、その恋しい人のは、消えていました。うれしさと淋しさと虚しさを引きずり、私は蓮華畑を去り、川の畔にたたずみました。川面の輝きは、深い悲しみの色をしていました。その輝きを見ていると、広大な大地に悠々と流れる大河が広がり、大陸の風が吹いてきました。美しい女性が水辺に立っています。泣いて泣いて、涙が大河に流れていくのです。その女性は子供を宿していました。幸せな母となるべき姿は、この世で最も悲しい女性の姿でした。その子の父となる人は、すでにこの世にいないのです。美しい女性は、身を投げようと大河の畔に来たのでした。愛する人のいない世界は、もはや生きるに値しないと、共にこの世から旅立ちたいと望んだのでした。川面に映る姿は、我子の生命の光でした。この光を消すことはできぬと畏れを覚え、身を引いていくのです。生きなければならぬと心を決め、歩きはじめました。私は、この美しい女性が自分とつながっているように感じ、我身の事の様に、切なく、悲しみが胸に広がるのです。水は人の心を映します。この美しい女性は、私の心に住む女性なのでしょうか。この女性が若草の君に会いたくてたまらないのでしょうか。
この秘密は大河が知っているのでしょう。
現実はつまらないことばかりです。
若葉輝く季節、蓮華色に染まる夕暮れ、若草の香りに包まれ、
心ときめき、又家路に着く頃、胸はしぼんでいるのです。
現実は、ゴリラとメッキのはがれた灰色の君と、友達の夢物語で、
私には夢も希望もありません。
けれど私には蒼い風が吹くのです。
その風は、壮大な歴史のロマンの香りを運んでくれるのです。
この風も現実なのです。