アルメニアコンサートの直後にいだきしん先生が撮影して下さった私の写真パネルが家に届いたことがきっかけとなり、私は家の模様替えがはじまり、遂には壁紙の張り替え工事までする事になりました。11月27日からはレバノンへ出発する予定でもあり、私は家の工事に備え、整理整頓を始めました。1年半もの長い間、レバノンではストが続き、心模様展とコンサートを開催する予定が大幅に延期されていました。開催出来る状況になったら何よりも最優先し、レバノンへ行きますとおっしゃておられた先生のお気持ちはずっとお伝えしてきました。アラブブックフェステイバルのオープニングのコンサートの招待状が届いた時に先生のお気持ちを改めてお伝えさせて戴きました。私もわたしにとって心のふるさとであるレバノンへ行けます事は喜びですとお返事させて戴きました。このコンサートに合わせて、ベイルート、テイールと2年前のイスラエル軍の爆撃の時に最も多くの方々が亡くなり、建物も破壊され被害が多かったビントジベイルにてのコンサートの開催が決まりました。同時にかねてから計画してありました私の心模様展の開催も決まりました。開催出来る状況になったとはお聞きしているものの、ニュースでは銃撃戦により死者が出ている事も報道されており、なかなか状況がつかめずに心配もありました。ある時先生から、『我々の生命は誰が保証してくれるのか」という旨のお話があり、深く胸に残り、考えました。生命が掛かっている事であり、同じ気持ちで取り組んでいないと危険であることを感じました。何度もレバノン側の受け入れであるガジ教授や、ネメ氏に確認をとりました。行く事は決まっていましたので、あえて外務省の情報は見ませんでしたが、きちんと調べておこうと調べると、私たちが行く所は危険地帯であり、渡航延期をお勧めしますというメッセージとなっていました。日に日に心配となり不安も生まれ,私は家の整理整頓に更に取り組むようになりました。いつ死んでもいいように、という言葉通りに死を基準に整理し始めたのです。
出発の日は来ました。羽田空港で見送りに来てくれた人に『行ってきます」と言う時にいつもでしたら帰る時の事を想定しますが、この時は帰る時の事は考えもしませんでした。関西空港から、ドバイへ向かう飛行機の中で体が震える程の恐怖を感じ、私は自分の状態を整理しようとノートとペンを出し言葉を書き出しました。恐怖は死の恐怖でした。けれど、生まれる言葉は,死へは向かわない、生きていくために道を創るという力強い言葉が生まれました。言葉に表現することの大切さを身にしみ、感謝しました。ドバイにて先生の体に受けているものは私が想像出来るようなことではない大変なことであることを感じ、身が引き締まります。ホテルから出ないようにと話された言葉から事態の深刻さを感じました。ベイルートへ到着すると、私はうれしさで心が浮き立ってきます。始めて来た時から、心が弾み、ときめくのでした。街の喧噪は相変わらずです。車は猛スピードで走り、カーレースのようです。身も心も引き締まります。私にとっては懐かしい街並です。よく知っている街並に緊張もほぐれていきます。恐怖は薄らいだものの、在るものは在ることを11月30日のコンサートで浮き彫りになりました。私は緊張し、自分のことしか考えられなくなり、不安で落ち着かないのです。最も嫌な自分の状態が露になりました。気持ちを整理しました。死の恐怖でした。死を恐れ、自分を守るが故に自分の事しか考えられず自分勝手な状態で死んでいく事の方が人間として怖いこととわかり、死を恐れ、自分を守ることは止めようと決めました。ちょうど、ホテルの部屋でネメ氏の奥さんと、アシスタントの若い女性が私のヘアセットをして下さっていました。この地に生きる人は何度も爆撃を経験し、死は背中合わせでありながら、2人の女性のやさしい感覚に助けられました。コンサートでは常に宇宙の生まれる3段階前の世界を感じることに集中しました。私が出来ることは新しく開かれた世界がこの地に生きる方々とこの地に広がっていくように、自分自身が宇宙の生まれる3段階前の世界で生きることと考えています。いだきしん先生の表現される世界に集中していくことと徹しました。人を見たり感じると、人は演奏中でも携帯電話が鳴れば電話に出でしまいますし、大きな声で話しています。やりにくいと感じ、やるべきことをやれなければここに来た意味がないことはすぐにわかりますので、気を取り直し,心澄まし、集中していきます。先生はお客さんが何人来ているとか、騒いでいるとかではなく、神に礼儀を尽くしてとおっしゃり、きれいな靴に履き替え、姿勢を整えておられます。私も見習い,神に捧げる気持ちで臨みました。宇宙人になると決めてからの毎日は快適でした。宇宙人でなければ役に立てないことを身に沁みわかったのです。広大な大宇宙に生きる生命で在る時、全体が見えます。この世の事で心を煩わせ、人と対立していても何も解決しないのです。けれど、宇宙の生まれる3段階前の世界で生きる時に人々の心が動き、新たな希望が生まれることをレバノンでの4回の詩のコンサートをさせて戴き、実感出来ました。最後は拍手喝采となるのです。その拍手の音は感動を伝え、心と心が通じ合っていることを確認出来ます。私も感動し、涙があふれてきます。希望の光が生まれていることは明らかに分る瞬間です。心からありがとうございます、と感謝の気持ちにあふれます。一回一回宇宙の生まれる3段階前の世界で生きる経験をさせて戴くかけがいのないコンサートでした。最後のコンサートはビントジベイルでした。一回一回乗り越える課題を乗り越え、最後は何もない状態で向かえました。イスラエルとの国境ですので、パスポートを携帯し緊張感は高まっていましたが、心は何もなく向かえることに心からありがたい気持ちでした。テイールを越えてからの風景は全く変わります。高原のさわやかな風を感じると共に、イエスキリストの香りが蘇りました。何度か訪ねたカナンの地でした。イエスキリストを感じながら、ビントジベイルへと向かう道中は心地良くさわやかでした。ビントジベイルに到着すると、すぐに昼食に招かれました。日本人スタッフ全員と、イランからのスタッフ、そしてレバノンのスタッフが招かれ、大きな食卓を囲み、手作りの家庭料理を頂きました。レバノンのお料理でした。とってもおいしくて、みんなで頂く食事はこんなにも楽しくおいしく、幸せなことかと感動しました。私にとってのビントジベイルはこの時みんなが集まり食事をする幸せな地なのです。食事の後に行った爆撃により破壊された跡の悲惨な様子,新しいお墓がずらっと並ぶ町は悪夢より酷く、悲しみ,憤り、怒りは何処にもっていっていいのやらとやりきれず、空を仰ぎました。こんなに美しい空を見たことがありません。神を見るようです。国境になっている丘は聖なる光に満ちています。吹く風は聖なる御方が歩く時に吹く風のようです。ここは聖地です。国境ではイスラエル軍の戦車の大砲がこちらに向けて備えられています。聖地とはかけ離れた現実の有様に胸は潰れそうです。こんなに美しい空の下で何故、人は人を殺せるのかと天を仰ぐよりありません。空は何処までも澄んでいます。澄んだ空の向こうに広がる遥か彼方の無限な世界を見ました。この世界が現れる時に。。。と答えを託し、私はコンサートに集中することが道を開くと示されました。美しい地にて家族が健やかな時を過ごし、武器による恐怖におののく事なく食事が出来ればいいと心底祈ります。この地のコンサートで私はイエスキリストをこんなにも深く感じたことはありません。悲しみの極みにあり、祈り続け、神に出会った瞬間,光と光が出会い、新しい光の世界が生まれました。感極まり涙がこみ上げた時に会場からも拍手が沸き起こりました。先生のピアノ演奏と共に拍手は続きました。感動の波が押し寄せ、みんなの気持ちがひとつになったあの瞬間。。。このために今までのプロセスがあったと感謝するばかりです。前日に先生からスタッフ全員にお話がありました。我々の目的をやり遂げられれば先に行けるとのお話でした。私にとっての目的はこの地に宇宙の生まれる3段階前の世界が開かれる事です。新しいひかり、新しい世界が開かれていれば、どんな事があっても生きていけると感じています。そして新しい世界につながり生きる人が道を創っていくと考えています。やり遂げられましたことに心から感謝し、多くを学ばせて戴きました尊い経験を今後に活かしていけますことは何にも代え難い力であります。