KEIKO KOMA

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更新日 2010-01-09 | 作成日 2008-03-30

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 ドバイから帰国してからも毎日、新しい生き方の学習の日々は続いています。ふとかすめる意識に驚く事があります。ある時、謀り事をしている意識に驚き、急いで打ち消そうとしました。けれど、自分の内にある事であると認めざるを得ない状況にあり、いかにしたら乗り越えていけるのだろうと、いだきしん先生にお聞きしました。私は、戦略、戦術を考えたりする事が得意でした。内から生まれると同時に未来から示されひらめいたり、こうすればうまくいくという光景がみえるのです。行なう時、見事に的中し状況を変え、先を切り開く事が出来ました。その度、いつも感謝していました。いだきの活動ですから人間の生命が助かり、人間が人間として生きられる状況を作っていく為に何をすればよいかを示されていくので、自分の生命も助けられてきました。今の時代に生きる私は、真に幸せ者と心の底から感謝します。いだきのことで行なうことは、戦略、戦術といっても人を落とし入れる様なことでもなく不正をする訳でもないのです。それらは、最も私の嫌う所であります。高句麗時代は戦国の世が続き、人を殺す事である謀り事が多かった事でしょうと、その時代時代に生きる為にせざるを得ない悲しみを感じます。自分では意識をせずとも、私は、ふと謀り事が浮かぶ自分に歴史の悲しみを深く感じます。いだきしん先生はおっしゃいました。戦の世にあっては当たり前にせざるを得なかったことであり、それが出来なければ生き延びていけなかった。新しい経験をする事でなくしていくというお話をして下さいました。戦の世にあり常に勝ち続けてきた高句麗王は、謀り事には長けていたことは、私の内にあるものでわかります。私は、自分の内に在ることを認めつつも、「外にあるものを感じたものでしょうか。自分の内に在るものでしょうか」と聞いていました。先生は「外には何でもある。その中で自分がキャッチすることは、自分の内に在るから」と答えられました。よく理解出来ました。外にあるとは、人間の意識や生きている状態はエネルギーとし、空間にあります。というより一人の人間の生きている状態は外的環境をつくりますので、世界中の人が生きている状態が環境を作っています。自分に在るものと外的環境に蠢いたり、渦巻いているものが同じである時に浮き彫りとなってあらわれることをこの度も理解しました。私達は新しい経験をする事で、歴史的に受け継がれた生き方、考え方、行動パターンを乗り越えていく事が出来ます。ありがたいばかりです。自分の生き方によって歴史を変え、新しい世界を作っていけるという夢にすら見ることの出来なかった人生を生きていけるのです。自分の内にあるよからぬ因子や意識は、新しい経験をすることでなくしていけるのです。私は、いつも生命を中心に考え、判断します。人間が生きていける未来につながることを行なっていきます。
10月2日は、夢のお告げにより企画しました横浜の古きホテルにて「語る会」を行ないました。私は自分の状態もままなりませんでしたが、具合の悪い人に食べさせてあげたい気持ちで、いくつかの煮物をしていました。今までは、いくつかのことを同時に行なうことは当り前でした。いだきを始めた頃は、24時間体制で電話の対応をしていましたので、お化粧をしながら電話に出たり、コーヒーを淹れながら電話での対応をしたりは当り前でした。いつもの癖で煮物をしていたら、真っ黒になるまで気づかず全部焦がしてしまいました。只それだけでパニックになり、血圧が上がってしまいました。何をどのようにし生きていったらよいのかが皆目見当がつかず、本当に一日一日過ごすことが必死でした。先生が抜け出してこられたということが、唯一の手がかりであり、支えでした。失敗に懲りずに、再度花豆を煮ました。鍋を2つ丸焦げにし捨てました。更に2つの鍋は、良いお鍋だったこともあり捨てずに済みましたが、丸焦げにしました。そんな中で無事であったお豆の味は、この世のものとは思えぬ程清らかで美しい味でした。せめてもの救いでありました。日々失敗し、再度行ない、又学びを繰り返し、いよいよアルメニアへと出発する日が訪れました。血圧は高く、休み休み旅支度をし、時にこんな体調でアルメニアまで行けるのだろうかとか、行けたとしても、宇宙の生まれる3段階前の世界を示されたコンサートの大舞台に立てるのだろうかと不安がかすめることもありました。が、出来なかったらどうするのかということに対する答えはありませんでした。日本に残っていてどうするのか、又舞台に立たずにどうするのかと考えても先は全く見えませんでした。答えは行くことよりありません。出来なかったらどうしようという問いは無効であることは明らかでありました。不安定な体でひとつひとつ仕度し、準備しました。出発前夜は、パニックとなり血圧は高かったのですが、ベッドに横になることで、朝まで過ごしました。成田空港までの道中、先生にお世話になり、少しずつ落着き、無事飛行機に乗ることが出来ました。
 ミュンヘンの空港にて、アルメニアに先に入っているスタッフから電話にて、空港にてTV局がインタビューをしたいとの申し出があると聞きました。私の体調を案じ何度も断わっているのに、引き下がらずに何度も依頼してくるとのことです。私は先生に「大丈夫ですよね」と確認すると、先生は「大丈夫、全然問題ない」とすかさずおっしゃるので承諾しました。自分がどうとかいう意識がなくなり、只、淡々とやるよりないという体制に入りました。先生がおっしゃるように無事エレバンまで到着し、空港にてカメラを向けられても大丈夫でした。かえってやれることのある境遇に感謝するばかりでした。パトカーに先導され、真暗闇の中を空港よりホテルへ向かいました。市街に入り、突然ドーム型の舞台が見え、私は心が弾み身を乗り出して見ました。目の前に巨大な私が映し出された時の衝撃と驚きは、有無を言わせぬ迫力をもって私に迫ってきました。「巨大な私」が空を舞うように立ち現れたのです。自分の写真でありながら、何かとんでもないものを見てしまったようで、胸は高鳴り、興奮し、今まで自分の体調を案じ恐る恐る歩いていたことが吹き飛んでしまいました。舞台をはさんでもう一つのスクリーン台には先生がピアノを弾かれている写真が立っていました。先生よろしくお願いしますと頭を下げ挨拶し、エレバンでの日々がスタートしました。

つづく

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