私の詩は、中東では未来を預言する言葉と評価されています。私の詩をアラビア語に訳して下さったり、衣装を作って下さったり、「高句麗伝説」の演出をして下さるレバノン大学の芸術学部教授のガジ教授は、2年前イスラエル軍の爆撃を受けレバノンが大変な痛手を負った最中の時、周りは息も出来ない程苦しいけれど、私の詩を読んでいる時は、心が平安になり、未来には平和が訪れることに希望の光を見い出していけるとおっしゃっていました。それ以降も、機会がある毎に私を平和の使徒とし、中東の地に雑誌等で紹介して下さっています。日本では、毎月一回「生命の詩会」を開催しています。私は、毎日生命の内にみえる光景を詩にあらわしています。その詩を月に一度、集う人々の中で詠み上げていきます。言葉はたった一言ですが、その一言をあらわすプロセスを話したら、一時間でも足りない程なのです。その一言は、必ず未来に実現していく一言であることは、今は多くの人々が知っています。予言といえば、予言なのでしょう。けれど私は、生命の内にある光景は外的環境にあらわれていきますので、人間誰しもが経験していることだとも考えています。内的環境は外的環境にあらわれることは人間共通です。私は生命はいつも未来に向かい生きていると感じています。未来に実現されることは、自然の成り行きと感じています。
ドバイで倒れた時、先生が「預言者が集まってきているから、未来を教えてあげなさい。全く新しい世界がはじまったことを」とおっしゃいました。その時、「未来」という言葉の中味がまるで違うことを知りました。過去、現在、未来という時間軸で考える「未来」ではないのです。全く新しい世界を「未来」と表現していることをわかりました。この新しい世界は、今までの預言者も誰も知ることのなかった未来なのです。私は心底、新しい世界をよくわかりたいと、倒れてから必死に内面深く感じようとしました。アルメニアにて示された「宇宙の生まれる3段階前の世界」こそが、全く新しい世界であり、「未来」であると感じています。
2005年8月26日にレバノンのフェニキア9000年前の都市といわれるティールにて、私は「高句麗伝説」コンサートを開催しました。開催2ヵ月前の6月にレバノンを訪ねた時、私は「未来からの光を受け今生きる私」という詩が生まれました。未来からの光とは、過去、現在、未来という時間軸でみた未来と捉えていました。今、預言者に未来を教えてあげないと、とおっしゃった「未来」は、時間軸からみる未来ではありません。全く新しい世界のことです。先生は、こう生きればいいという未来からのメッセージをコンサートにて表現しているとおっしゃいます。未来からの光、未来からの風は、人間が最も人間として生きられる光景とわかりました。私は、生まれつき人間の生命の内がみえますので、いだき講座にてお一人お一人の内面に受け継がれた運命の因子を調べる時、過去から受け継がれてきた生き方がみえます。過去から抜け出さない状態は、光の景色と書く光景とは程遠く、黒い固まりとしてみえ、闇の世界とみえます。いだき講座にて運命の因子が解かれると、母の胎内に発生した瞬間の光がみえます。生命の一番奥深くに隠され、押し込められていた真の光です。真の自分をあらわす光であります。生きていくとは、真の自分を実現していく事と受け止めています。真の光を見い出し、真の自分を実現していく人生を生きる日々の生命の光景は、大変美しく、この世で目に見える世界の美しさでは、例えられぬ程の美しさと日々感動しています。かぐわしい香りまで漂います。「未来からの光を受け生きる私」とは「宇宙の生まれる3段階前の世界で生きる真の自分」と理解しました。
ドバイにて新しい世界は開かれた事を私の体に集まってくる預言者、多くの魂に内面の世界で一生懸命お伝えしました。この事実も、数ヶ月後には現実の中で現象となって現れるのでしょう。内面で起こっている事と現象はひとつです。自然も内面の世界も全てはアルメニアコンサートに向かっていることを我身をもって経験したドバイでの出来事でした。帰国した直後は、体の状態を考えると時にひるんでしまうこともありましたが、生命の内から生まれ出ずる力は、アルメニアコンサートであらわれる新しい世界に向かい、喜びに満ちていました。全て賭け向かおうと備える私になっていました。
つづく