「東明王と私」
父であり、偉大な存在であり、いつも共にありたい人であり、いつも語りたい人であり、私の人生においてはなくてはならない御方であります。
はじめて五女山城に行った時の出会いは、稲妻が天を裂いた様に、悲しみの光が我身を貫きました。泣いても泣いても尽きぬ涙は、2000年の高句麗の涙でした。高句麗を生み出した父の悲しみはわかる人がいなければ、永遠にあらわされることはなかったのです。現代の世にあっては、中国大陸の僻地にあたる山の中と見られる五女山城に留められていたのでしょうか。時は来ました。いだきしん先生に出会うことが出来、私の内にある高句麗の悲しみは、高句麗の父東明王が蘇えることにより、愛と変わったのです。身を裂かれる程の悲しみの深さをはじめて知りました。人間の歴史は悲しいと生命の深くから感じました。
高句麗の父、東明王の地 五女山は、大宇宙を感じる地です。そのダイナミックさは、言葉によってあらわせるものではありません。いだきしん先生の演奏によってあらわされ、私の生命の内にある大宇宙につながるダイナミックなエネルギーが蘇えってきました。今の時代に必要なエネルギーと感じています。国創りのエネルギーと簡単に表現させて頂いてきましたが、五女山のエネルギーは尋常ではありません。一度出会ったら、人生変わる程のものです。
東明王の宿命を語っています。
出会った私の人生も変わりました。
五女山城の出会いは永遠との出会いとなりました。
高句麗の父 東明王と永遠に生きる私になりました。