KEIKO KOMA

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更新日 2010-01-09 | 作成日 2008-03-30

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 暑い夏になると、母の死を思い出してしまいます。母が亡くなった10年前の7月28日も大変暑い日でした。あの日以来、暑さと共にあの日のことを思い出してしまうのです。生きている時も、死んでも、一日とて欠かさず常に心に想うのは父母のことです。母は長く体を患っていましたので、私は毎日心配していました。地震があると、すぐに母の無事を気にし、万が一の時は、すぐに駆けつける体制でいます。母亡き後、地震があった時に、習性ですぐに駆けつけようとしましたが、母はこの世にはいないという現実を受け止めた時、どんなに心配する毎日であっても、生きていたから心配出来たことをありがたく感じ、涙があふれてきました。心配する人がいるということは、幸せなことだと感じました。生きている時は、いつも体を案じ、心配ばかりしている自分を決して幸せとは感じられませんでした。母が生きている時に、今のような心境であったらもっと母に幸せを感じてもらえただろうにと時折感じます。けれど、死んだとしても母がいたからこのような心境になれたのです。真の悲しみを知ると、愛が生まれることを経験しました。「高句麗伝説」の時に、「道端で果物を売る女の人・・・」という出だしから読む 母亡き後に再び訪ねた五女山のある中国 遼寧省 桓仁での詩は、リハーサルの時から、読む度に号泣し、メイクが全部とれてしまいました。
   間も無く、母の命日が訪れます。10年の歳月は私に魂の存在と永遠の世界を教えてくれました。目に見える世界には限界がありますが、目に見えぬ内面の世界には、限界がなく、魂の存在もはっきりとわかり、永遠の世界も実感出来ます。人間は、内面を中心に生きる存在とわかりました。死は終わりでもなく別れでもないこともわかりました。死んでから共に生きる年月の方が長いのです。永遠ですから・・・。これ程までに素晴らしく豊かな人間という存在を何が生み出してくれたのでしょう。あまりの尊い人間の存在にあふれ出るのは感謝の気持ちばかりです。
心は感謝で満ち溢れています。母と最後の別れの時、心から「お母さん、ありがとう」と生命の限り叫びお礼を言いました。棺が閉められ、火葬炉の扉が閉められた時、肉体は失くなっても、魂の光とありがとうという光の言葉は在り続けました。そして今も変わらず在り続け、共に生きれるこの人生、心よりありがとうございます。

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『高句麗伝説に向かって』WEB SITELinkIcon