7月20日にカフェ哲のドキュメンタリーサロンで見た京都での「高句麗伝説」の宮廷の恋の場面の清らかな風が今も私の体に心地良い体感とし残っています。歴史のロマンを感じる美しい音楽と共に映し出された映像は、高句麗発祥の地がある、中国遼寧省桓仁県にて湖の畔に佇み詩を書いている私の姿でした。長い髪により顔が隠れ、髪が風に揺れる様が、何とも悲しく映るのです。瞬間、母の死が蘇えるシーンなのです。母がいなくなったこの世で生きるはじまりとなった五女山への旅でした。中国の大連より車で延々と暑い最中、整備されていない悪路を走り続けました。私には五女山へ行く事だけが頼りでした。早朝大連を発ち、桓仁のホテルに着いたのは、夜になってからでした。夏の日没は遅いですが、ホテルに到着した時は、真っ暗でした。淋しくて胸がつぶれそうな程辛い夜も明日になれば五女山へ行けるからと望みを抱くことで耐えました。車に乗り、五女山へ行くのかと心が浮き立ち、車窓から桓仁の町並みを目を凝らして眺めていました。道端で果物を売る逞しい女の人の姿が無性に懐かしく、恋しく、私は必死で母の姿を探すのでした。ふと現実に戻れば、母はいる訳がないことをわかり落胆し、頭を垂れ下を向くのですが、再び顔を上げると私の目は、母の姿を探しているのです。車に乗っても行く先は、五女山ではないのです。一日、二日と車に乗せられても行く先は五女山ではないのです。耐えられませんでした。が耐えました。五女山へ行く為に苦痛を耐えました。そして夕暮れ時、せめて五女山が見える湖の畔へと行き、詩を書いたのです。切なさで胸は張り裂けそうでした。その時の映像が映し出され、宮廷の恋の詩が音楽と映像と共に私の心に響いてきます。時折映る私の顔は、最も私らしいと感じました。若光王や東明王の詩を詠む時よりも私らしいと感じました。姫の愛が実る時を迎え、姫の魂報われたことを、私の表情からわかることが出来ました。この川が流れている限り、私の気持ちは生き続けると先に望みを託し、永遠の愛を生きる為に、愛する人との別れを決断した姫の気持ちがやっと報われ生きる時が来たのです。何百年、何千年という長い時を経て今、魂の詩は、永遠の愛の詩となり、私の心に生きています。