京都「高句麗伝説」翌日、東京への帰路に立ち寄った地で、いだきしん先生に撮って頂いた写真に写る人の気配にただならぬものを感じ、全身武者震いが起きました。よく見ると、その人は私自身だったのです。大地の声を詩にしている姿でした。鬼気迫るものがあり、私自身でありながら恐いと感じました。京都の「高句麗伝説」で起こったことの計り知れぬことをあらわしているような姿でした。京都の「高句麗伝説」はリハーサルの時から涙が込み上げ、尋常ならぬものを感じていました。東明王の詩のところで、先生が弾かれたベースギターの音に私は、国創りの神の世界を感じ、東明王の存在を感じます。その時に突然、2007年10月10日に五女山へ行った時に五女山と真正面に向かい合った時に見た、歴史の悲しみと東明王の悲しみが蘇えり、胸の奥から嗚咽が込み上げてきました。私は、東明王の存在にふれると胸の奥が動き、愛しさと懐かしさ、感動、愛に震えます。
前夜、体の苦しみから生まれる詩を書いていると、高句麗滅亡後に
日本へ亡命する時に途中で息絶え海に沈んでいった魂の声が聞こえました。京都の「高句麗伝説」に向かう日々の中で毎日書いていた詩は、航海の詩でした。海に沈んでいった人は、皆同胞であり、身内であります。どれだけ辛く悲しい航海だったことでしょう。京都から帰京した直後のカフェ哲のサロンの時に私は思わず語りました。カフェ哲のサロンには、共に平和を作ろうと生きる人が集まります。昔の様に国の命運や存亡を賭け、生命懸け闘った同志との絆の深さを比較しても意味がありませんので、しませんでしたが、共に生きていきたいと望み、毎日の様に集ってくれる人がもし、死んでしまったとしたら、どれだけ悲しいことでしょう。それでも生きていく為に悲しみにとどまってはいられずに先を作っていく為に動き続けねばならないのです。想像しただけでも、当時の人の精神の強さに身が引き締まり、胸が裂かれる程の悲しみを感じます。今やっと海に沈んでいった同胞の魂が蘇り、1300年ぶりに心やすらぐ時を迎えられたのです。何とあらわしてよいか、感謝という言葉によってよりあらわせぬことがもどかしいです。今やっと先に向かえる時がきました。一回一回の「高句麗伝説」があり、やっとこの時を迎えられたのです。向かう8月4日(京都文化芸術会館)、10日(東京ラフォーレミュージアム六本木)、20日(京都文化芸術会館)、そして10月18日アルメニアでの「高句麗伝説」と導かれました。
ありがたく、全身全霊懸け臨ませて頂きます。