2007年12月、当初10月に予定していました高句麗古都、集安への旅が叶いました。氷点下10数度と予想し、以前行った、北極圏の町、ノルウエー のトロムソの時に用意したダウンの上下を着ていく予定でした。このダウンは真っ赤で大きくふくらんでいるので、よくだるまさんと言われ、笑われます。私は寒さに弱いので、だるまさんと笑われようとも格好よりも防寒を選びます。ところが出発前にたまたまいだきしん先生と新宿に言った時にあるお店にあった茶色のダウンを先生が勧めてくださったのです。私は茶色は好まず、茶色の服はほとんど来たことがありませんので、勧められても困ってしまい、ためらっていました。集安は寒いので、トロムソの時に着た赤のダウンを着ていく予定であることと、このダウンは薄手であるので必要ない旨を伝えました。先生は寒い時は薄手の方が体にぴったりとし、かえって防寒になると教えて下さいました。そして格好良く行きなさいとおっしやいました。私は好きでない茶色のダウンを試着した時、どう表現していいかわかりませんが、気分が全く変わったのです。その新しい感覚がうれしくて、買いました。そのダウンに似合うバッグまでも買いました。装いを一新し、集安へと旅立ちました。氷点下15度位と聞きましたが、霜が降りて、凍っている大地を歩く時、吐く息も白く、知らず知らず鼻水がでてしまう程の寒さでしたが、この茶色のダウンを着ていると自分が将軍にでもなったような気になり凛とした姿勢となり、気が張り俊敏に動くのです。大変気持ちが良いリズムで動けるのです。昔、高句麗の将軍はこんな感じで動いていたのかも知れないと感じるだけでうれしく喜び生まれ、凍てつく寒さも忘れ心はあたたかく、熱くなっていくのです。厳寒の中、好太王碑に行きました。9年前に行った時とはまるで変わっていました。公園となっており、碑もガラス張りになっていました。大地を歩いていると広く、穏やかで心静かに澄んでいくのです。心静かでなければ戦には勝てないと教えられました。強く、勇ましい好太王は心静かで穏やかな人なのだと、意外な感じに心ときめきながら一歩一歩大地を踏みしめました。大変不思議なもので、この時、高句麗の高という文字と安らかであり平安である安という文字が見えていたのです。好太王碑前に立った時、中国の監視人が好太王の名前を「高安」と教えてくれた時、やっぱりと微笑みました。高句麗古都、集安の地を歩く時、心静かであり軽やかに機敏に動く自分の感覚が最も自分らしいと感じ、とってもさわやかで心地よかったのです。このダウンでなければこのように歩けなかったと感謝しました。真っ赤なだるまさんだったら、転がっていたのではと、一人笑っていました。集安から帰った私は変わりました。最も私らしいと感じる場面が多いです。それは少年のように喜々とし素早く動く感覚です。余計なものはなにもなく身軽に動く感覚が気持ちよく、この身は空間とひとつになっていくのです。会いたかった好太王に出会え、魂ひとつに動いている感覚がうれしくてたまりません。最も心静かに、心澄ます時些細な事も見逃さず最も必要な事に集中していけることを教えられます。今日も余計なものはなくし軽やかに必要な事に向かって動く時、好太王が共に在ることを感じ、不思議な力が生まれます。戦の世にあっては、生命賭けの戦は勝つことより、生きる道なしという魂の声と共に、今までにない新しい人類史を築いていく今、この時です。