いつも爆発してしまいたい自分が在り、苦しんできました。といっても、本音を表現することで、美しく道が開かれてきましたので、助かっています。いだきをはじめ、少し経った時に、いだきしん先生から「女性は美しく、優雅に仕事しなさい」と言って頂き、努めてきました。お腹の底にある怒りも美しく丁寧に表現することをいつも心がけ、行ってきました。けれど咄嗟の時は、抑制が出来ず、爆発します。その時の内にある激しさを抑えきれない時は、あまり人と接しないようにしてきました。人を傷つけることだけは、決してしたくはありません。ですから、人が芽がでそうになると、その人に近寄り、一見親切そうに声かけながらも、その人の芽を見事につぶしてしまうことをする人に憤りを感じてきました。人は、よくぞここまでと感じる程、人をつぶす能力には長けています。弱点を見通しているかのように見事に傷つけていきます。
私もよくありましたが、その都度内面を整理していくと、自分を活かしきっていないから、責めてくれたのだという答えに行き着きます。自分を活かしきることがやられない事と、肝に銘じ、自分を表現することや道を創り続けることに徹してきました。悪魔のささやきにのらないように努めてはいても、弱点は次から次へと浮き彫りになるものです。もう大丈夫と安心していると、足元をすくわれるように新たな手法でやってきます。鍛えられます。私の場合、怒ることでのせられる感じがしており、極力怒りを抑え込もうと意識的に言い聞かせはじめる時、葛藤がはじまるのです。よく先生から、怒ると上で悪魔が太鼓を叩いて喜んでいるよ、とお聞きしました。悪いことをしている訳でもないのに、悪いことに腹を立てている時、体が苦しく痛みます。これは、答えではないとわかりつつも、又、怒りを感じ、体を痛めます。何が答えかと考え続け、本音の表現により抜け出してきましたが、また現象を変えて繰り返されます。
7月7日のいだきしん先生のコンサートにて、やっと仕掛けている神の姿をした悪魔が光になり、この空間に共に生きるようになりました。神も悪魔も元はひとつです。人間の意識は、自分が神の様にふるまっていくといつも感じています。その時は、悪魔になってしまうのです。動き続けることより、解決はないと考え、うまくいった時、うまくいったと思う間もなく次へ向かおうと努めて生きてきました。満足し、とどまる時、神の様に振舞い、悪魔となることが恐かったのです。その連続で生きることが今やっと次のステージに変わり、心底ほっとしています。
これからの展開は、希望よりありません。