大磯には、高麗山があり、高来神社があります。いだきをはじめて間もなくの頃、いだきしん先生が、若光王が青春時代に過ごした所とおっしゃり連れて行って下さいました。何度も行きました。行く度に、お昼に立ち寄るうなぎ屋さんがありました。古い家の造りで、2階に上がり、座敷に座ると、古の風が吹くのです。そして、古の香りに包まれます。
時は静かに私の心に風を運んでくれます。甘美な香りに包まれ、爽やかな風に吹かれ、遠い昔は、今に蘇えるのです。私は、何故か、ここには姉妹がいると感じたのです。うなぎ屋さんでうなぎを食べている光景は、遠い昔、姉妹と食べていた光景と重なり、ふと姉妹に語りかけるように口を開こうとするのです。暑い夏の日、昔は、冷房もない部屋の一室で、姉妹仲良く語り合っていたようなぬくもりに包まれるのです。真の姉妹にいつか会いたいと感じました。そして、たとえどんなに貧しいとしても支え合って生きていた真の姉妹のぬくもりに再び会えるような不思議な時を過ごしたのでした。
16才の時、大磯の近くの海岸をずっと歩いた事をこの数日、思い出すのです。私は、よく歩きました。電車を降りると、あとはどこまでもずっと歩くのです。あの時も山道もあり、民家もあり、海岸に出るまでにかなり時間がかかりました。ふと、先祖もこの道を歩いたのではないかと思い出す今日この頃です。父に連れられてよく行ったのも大磯あたりの海岸です。父は、夏が訪れると、必ずある日突然、私を海に連れて行ってくれました。その時の電車の旅は、何故かとっても楽しいのです。そんな光景が心に浮かぶ「大磯」です。
8月30日に「大地の声」を開催する縁が生まれ、不思議なことです。私は、大磯は何度も行っています。昔、高句麗神社だった高来神社もよく行っています。けれど、何故かあまり語りたくないのです。あのうなぎ屋さんで、ふれた古の香りと風までは思い出すのですが、あの海岸線を歩き続ける感じは、辛いのです。けれどきっと共に生きる人がいたから耐えられ、歩き続けられ、生きる場を作っていけたのだと、胸の奥では人のぬくもり、人と共に生きられることのありがたさを身にしみています。私は、子供の頃から海は嫌いです。いだきしん先生に海が嫌いな理由は、「先祖が日本へ渡ってくる時に、途中に息絶えた人も在り、辛かったら・・・」というお話しを最後まで聞けず、胸の奥から突き上げる涙は、嗚咽となり、号泣してしまいました。海が嫌いな私が、このところ、このウェブサイトに流れるいだきしん先生の音楽を聞くと、航海の詩ばかりを書き続けてきました。自分でも何故かしら、と感じながらも音楽を聞いて見える光景は海であり、航海をしている感覚よりなかったのです。
いつも胸の内から「この航海は楽しい」と喜んでいる魂の声が聞こえています。
今は間違いなく希望ある未来に向かう航海をしています。