私は、世の中の不合理さや、人を人とも思わない扱い、何より人間が人間とし生まれ、生きていけない社会に対する憤りは強く、何とかしたい気持ちが中心にあり、心の底から良い世の中をと求めて生きてきました。怒りや憤りによっては解決はなく、愛によってより良い世の中は創れないことを身にしみわかり、常に愛を要に愛から生まれる本音の表現により道を切り開き生きてきました。恐い経験もよくするので、恐がりな所もありますが、芯は強く、何があっても引かないので、面と向かって闘った多くの人からは、私の方が恐いと言われ続けてきました。自分でも不思議な力を感じてきました。明らかに正しいと感じた時、それを潰そうとする人に対しては、生命賭け立ち向かう瞬間、自分一人ではない尋常ならぬ力が共に在ることを確かに感じているのです。又、私には幼い時から大きな存在が共に在ることを感じていました。時には見えることもありました。失礼ながら私は「守衛さん」と心の中で呼んでいました。常に私を守ってくれる、ある存在を感じていたのです。母が心臓破裂と心筋梗塞に倒れ、途中死ぬかも知れないと言われながらも大手術に耐え、ICUに入っている時、私は、夜通し待機室に居ました。まんじりともせず、少しの物音が聞こえるだけで、ビクッとし怯えている時、私は外に守衛さんがいるから大丈夫とごく自然に感じていたのでした。朝になり、守衛さんの姿を探すと、それらしき人の姿はなく、病院の人に聞くと、守衛さんはここには居ないというのです。私が感じていた守衛さんは誰なのかしらと考えました。その後、いつも病院からの電話に怯え夜を過ごす時、この守衛さんはいつもずっと共にいてくれたのです。父が倒れた時も同様でした。その人は大男でした。天と地をつなぐように、天に立つ大きな男の人と感じました。2006年の最後のコンサートの時、いだきしん先生のメッセージで国常立神と聞きました。
第一音から懐かしく、私は生まれた時からよく知っている存在でした。この天と地をつなぐ程大きい存在と感じていた存在でした。
私は大地の神であり国創りの神とわかり、先祖高句麗と天を地に実現する為に生まれた檀君につながる存在とつながり、やっと一筋の道がつながったのでした。
6月30日、いだきしん先生との会話の中で、私が苦痛を訴えている体の内に大きな熊の様な存在がいると先生はおっしゃいました。檀君のようなとお聞きしましたが、自分でもよくわかっていました。大きな熊は、吠え続けてきたんだねとおっしゃった時、私は泣けてきました。よくわかっているのです。常に私を守る為に吠え続けてきてくれたのです。けれど今は体の苦しみとし違和しはじめたのです。しばらくすると、光になりました。同時に先生も「光にとけ込んでいったよ。お役目は終わりました。」とおっしゃいました。
私は天のはるか向こうの世界で生きられる時が来たので、もう守られなくても生きていけることを自ずとわかり、只々感謝の心で震えました。
心から感謝します。
天のはるか向こうで生きる人生のはじまりをありがとうございます。