6月24日はイスラムの女性の日です。私は、イラン大使夫人主催の夕食会に招待され、行ってきました。多くのイランの女性にお会いしました。皆さん瞳を輝かせ「beautiful」と声を掛けてきます。私は、イランに行くと、いつも行く先々で若い女の子に囲まれサインを頼まれたり、一緒に写真を撮ったりと大変歓迎されます。2006年11月にテヘランのサーダバ宮殿にて開催しました、いだきしんPeace Messageコンサートの時も会場にいた若い女の子は、私に、薔薇の花束を沢山下さり、大騒ぎとなりました。
2003年に東京で開催しました「高句麗伝説」に、イラン大使館から10名の方々がいらっしゃいました。若光王の詩のところで女性は全員号泣していました。後に、その中の一人で親しくしていました文化担当官の奥様とお会いした時、「あの涙は何だったのかと今でも毎日考えます」と話されていました。2002年にイランの各地を共に旅をしたご縁がある方です。
2006年のサーダバ宮殿でのコンサートの時は、駆けつけて下さいました。夜の闇の中、ステージのライトがかすかにあたる所で、私にプレゼントを下さいました。「今イランで一番人気のある人のポスターです」とおっしゃって渡されました。私は、紙包みを開け、写真たてに写る女性を見た時、頭にはスカーフを被り、体も長めのコートに身を隠していても、その女性から自由の風を感じました。自由を女性は、求めているのだと感じました。薄暗がりの中で、顔を近づけよく見ると、その女性は何と私自身だったのです。私は、瞬間、大声を上げ驚きました。彼女も大声を上げ笑い、瞳が輝いていました。氷点下20度近い寒さが、一遍に吹き飛ぶ程熱くなる瞬間でした。粋なプレゼントと感激します。今もその写真を見る度、自由の風を感じ、イランの女性の粋な心を感じます。2002年に共にした時に隠し撮りをした写真なのです。隠し撮りですから、私は実にのびのびと空間とひとつになってカメラを撮っているのです。今日は、そんなことを思い出し、女性が求めている自由の風のことも考えていました。
そして夜のカフェ哲のサロンでのお話しにつながります。
私がアルメニアのアザードという地に行った時、目の前に広がる山を山と書けず、美しく流れる川を川と書けず、困ったのです。その空間は、初めてふれるものであり、同じ山でも山とは呼べず、一面に咲く杏の花までも花と呼べず、じっと心澄ましていると、ふと生まれた言葉は「自由」でした。山あり、木あり、谷あり、河あり、美しい花咲き、鳥がさえずり美しい陽差しが輝くこの空間全てを自由と表現しました。ガイドさんに、
「何処ですか」と聞くと「アザード」と教えてくれました。自由という意味があると私に教えてくれました。私は納得しました。私がみえているように、この地をアザードと呼んだ人がいると感じると、うれしくてたまらないのです。
私は、24才の時、余命2ヶ月と言われていました。いだきしん先生にお会いした時に薬を全部捨て、苦しみにのたうちまわっている時、子宮から「私は、自由に生きたい」という生命の声が聞こえると同時に私は声を出して叫んでいたのです。すると激しい痛みは引いていくという劇的な経験が本音を表現するはじまりでした。
女性は自由を求めることを感じたイラン女性とのふれ合いから、
思い出した本音との出会いの瞬間です。