KEIKO KOMA

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更新日 2010-01-09 | 作成日 2008-03-30

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   1992年「S.T2 愛と平和のエネルギーを沖縄から世界へ」

   コンサートの前に、応用コースにて初めて、生命にとってのマイナス因子ではなく、こうしたら真の自分を活かせるということをお一人お一人調べました。自分のことも調べますと、目立つことでした。目を閉じ、内面をみるということを調べると表現しています。マイナス因子は、私からみると黒くみえます。
 こうしたら、真の自分を活かせるという状態は、光があらわれるきっかけになる様なことであり、光を覆っていることでもあります。私は、目立つこととわかった時、全身が震え鳥肌が立ち、「嫌だ」というはっきりとした気持ちがありました。その嫌さ加減は、死に直結すると感じる程嫌でした。私は、目立つと殺されると生命の芯にしみついています。ところが、子供の頃から目立つようで、どんなに隠れていても、一番目立つとよく言われました。実際、私は何も悪いことをしていないのに、一番目立つという理由で学校の先生に叱られたことがあります。私は、悪いこともしていないのに叱られることを不本意に感じ、大変抗議をしました。それでも受け容れてもらえずに、自分の殻をつくり固めてしまったような感覚を覚えています。当時の私は、人前に出ることを嫌いコンサートの告知や宣伝活動の時にラジオやテレビ、新聞の取材は他の人に担当してもらっていました。このことをきっかけとし、私は、意識的に努力をし、人前に出る様にしました。沖縄では、新聞、ラジオ、テレビ全てに出演しました。例の如く、偏頭痛が起き、倒れてしまいましたが、一歩歩くと激しい痛みに襲われる頭を抱えるようにし、ゆっくり静かに一歩ずつ歩くというよりも這うようにし、テレビ局に行ったことを今でもよく覚えています。あるラジオ番組に出演する時、パーソナリティの方が、私のことを「麗わしの人」と紹介して下さいました。心地良い風が吹き、自然にお話しが出来、うれしかったです。又、今まで出なかった私が出るようになり、物事は大きく動きました。「さすが実行委員長、空気がまるで違う」と感嘆し、多くの人がご協力下さいました。その時、出る人が出ないと、物事は動かないとはっきりとわかる経験をし、今までの自分を恥じ、心から悔い改めました。真の自分を活かすとは、死ぬ程恐いと感じていた目立つことからはじまることに驚きつつも、人間の社会の仕組みも見えてきました。恐怖によって真の自分を抑え込んでしまうようになっていたのだとわかりました。
 同じ頃、サンフランシスコに行った時、自分を守る術は、目立つ事と感じた経験をしました。ホテルのフロントで、精算をしている時、私はふと恐怖を感じ、注意深く、身のまわりのものを離さないようにと、気を配った瞬間をよく覚えています。その後、私の傍らにいた仲間の一人が鞄ごと盗まれ、現金もパスポートも盗られてしまいました。盗られたのは、私が恐怖を感じていたあの瞬間だということまでは辿ることが出来たのですが、防ぐことは出来ませんでした。後で先生がおっしゃいました。「あなたは目立つから、みんなが見ているのでスリはやれないよ。これからは目立ちきって守ることだね」とのお話しに、納得がいき、目立つことは恐いことではなく、身を守ることと意識が逆転したのです。
 時に見られたくないと、嫌がっている自分の意識は、生命の光を隠し、歪めているのだと気づきます。半端な状態で生きていることの方が、危険であり、隙にもなっていると感じることが多くありました。6月20日の原宿QUEST HALLにての心模様作品展でのスペシャルイベントのいだきしん先生の演奏にて、真の光と空間の光がひとつに溶け合う経験をし、これからの時代は、真の光で生きていけると、実感出来ました。