KEIKO KOMA

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更新日 2010-01-09 | 作成日 2008-03-30

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 最近、どうしても心に浮かぶ事があり、初めてカフェ哲のサロンでお話しさせて戴きました。私は、この姪の話をする時、涙なくして語れたことはありません。何故泣いてしまうのかずっとわからないながら、時折話題になると涙で声が詰まり、最後まで語れないのでした。兄の長女である姪は、私にとって子供がこんなに可愛いことかと感じる程、身も心もひとつとなる感覚がありました。桜の花の咲く頃、家の近くにあった桜並木をずっと歩くのが好きでした。まだ歩けない姪をだっこして、桜の木一本一本に桜の花びらひとつひとつに心を寄せ、話しながら歩いたのです。私は、子供の頃から木や花、動物と話すことは当り前でした。まだ言葉を話せない姪は、真っ赤なほっぺを輝かせ、満面の笑みを浮かべ、声を上げて笑っていました。翌年、歩けるようになった姪の手を引き、2人で桜並木を歩きました。私は、いつものように普通に桜の花びらにほほ寄せながら話しかけると、あまりに美しい桜の花に感動し思わず「きれいね」と言い姪を抱き上げ、桜の花びらにほほを寄せると、姪は「ちれい、ちれい」と大きな声を上げ、人差し指を天に向け、何の疑いもない純粋無垢な瞳を輝かせ、天を仰いでいたのです。私も一緒に「ちれいね」と言って2人で天を仰ぎ歩きました。この話を最後まで出来ずに27年の歳月が流れました。この子の純粋無垢な瞳は、ある日、不安と悲しみに怯え、泣きながら、私の所に駆け寄り、「おばちゃん、助けて」と叫び大声で泣くのです。私は、胸に抱き、只々涙が込み上げてくるばかりで何も言えず、何もしてあげることが出来ない無力さに、共に泣くよりなかったのです。この時、死を予感し病に苦しんでいました。死にそうな私に助けを求めてくる姪に申し訳なく、生きることは悲しいと心底感じたあの瞬間の事を忘れることが出来ません。ところが時は来ました。いだきしん先生にお会い出来、私の生命は助かったのです。私は、この姪ともう一人の姪(姉の子)から「おばちゃん、助けて」と泣いて叫ばれ、助けを求められたのです。今でも胸の中心にある叫びです。この子達を助けられる人間になりたいと心から望み、いだきをはじめました。もちろん、世界中の子供達が生きていける世の中を作りたい気持ちが中心です。兄は、子供の頃から目に見えない世界の話を毛嫌いしますので、私が目に見えない世界のことを言ったり、心や精神の話をすると、暴力により口をふさぐという異常なところがありました。私が生命助かっても、いだきのことを受け容れることはなく、いつも暴力により制したのでした。が、私は、生命のことであり、生きる糧である精神を貫く姿勢はゆらぐことがなかった為、関係が断絶し、兄の子である姪とは口を利くことも出来なくなりました。
 いだきをはじめて数年後、偶然道で姪を見かけました。私は、うれしくて、大声をあげて姪の名前を呼び、駆け寄ると、姪はそっぽを向き、逃げてしまいました。喜んで笑ってくれると思い描いていた私は、その瞬間、滝の様な涙が流れ、涙をぬぐうことも出来ず、泣いて泣いて歩き続けました。すると、今度は偶然にもいだき講座を受講したボランティアの人に道で会ったのです。私が涙をぬぐうこともせず、泣きながら歩いている姿を見て、その人は泣いていました。何の事情もわからないのに、私と共に泣いている人がいることに勇気づけられたあの瞬間のことも今でも心に残っています。いだき講座を受けた人は、身内以上に親しく、共に生きる人と心底感謝しています。いだきしん先生は、いだきはファミリーだからとよくおっしゃいます。私は、血のつながった身内ではなく、神を身の内に生きる真の身内と感じています。先生に、この姪の話をすると、「子供はちゃんと大人の生き方を見ているから、いつか帰ってくるよ。その時の為に子供達が生きられる道を作っていけばいいんだよ」とおっしゃいました。私は、この姪を身の内に感じる自分の気持ちを、良い世界を作る事で表現していこうと決めました。いつの時も、すぐにわかり合えないことや、わかってもらえないことが常であった人間の歴史を感じています。けれど、今、私が高句麗魂をわかり、共に生きている様に、真の気持ちは時を超え、生き続けていくのだとわかるようになりました。今わかってもらう、もらわないではなく、真の気持ちは貫いていくことを考え、生きられるようになりました。
 何故か最近、このことばかりが心に浮かび、2回、哲のサロンでお話させて戴き、心に浮かぶことは表現し、道を作ってきましたので、書かせて戴きました。天を仰ぎ、濁りのない純粋無垢な心をあらわす子供の瞳の輝きが、いつの時も輝いて生きられるようにと、そのことが私の生命の中心にある気持ちです。