人間の生命が宇宙とつながっていると いだきしん先生からお聞きしたことが、こんなにもうれしく未来が開かれていく喜び生まれるとはと、改めて考えます。人間の心が宇宙空間とつながっていることを初めて真剣に考えたのは、1998年7月にギリシャへ行った時の事でした。ギリシャの夏は暑く、陽差しは強くまぶしい限りでした。私には、明るすぎて真白い世界と感じました。パルテノン神殿にあるアクロポリス遺跡にて、いだきしん先生のコンサートを10月に開催する予定で打ち合わせに行ったのでした。陽差しが明るければ明るい程心が重く、暗くなっていく自分の状態をどうすることも出来ず、只々胸の苦しみを耐え、暑い中をパルテノン神殿を歩きました。ふと丘の上からアテネの街を見渡した時だけ、心の内を心地良い風が吹き、救われた思いがしました。この心地良い風を私はよく知っています。子供の頃から、この風が吹くと生きていけると力が生まれるのでした。いだきをはじめてからも辛い時はいつもマンションの5階にあった私の部屋のベランダに出ては、夜空を仰ぐのが習慣でした。そうすると、胸が開き、胸の辛さが消えていくのでした。昼間は、東京でありながら、吹く風は地中海を思わせるような風と感じ、私には明るい未来があると感じ、生きていこうと気力が生まれるのでした。パルテノン神殿の丘に立った時、この風が吹きました。やっと息が出来たと表現したくなる感覚が生まれました。只、一瞬にし再び歩き始めると心が翳り、重く、歩くことも精一杯になってしまいました。やっとの思いで打ち合わせを終え、昼食の時となりました。パルテノン神殿が見えるレストランにて座っていると、耐え難い苦痛に、思わず「先生、苦しい」と言ったのでした。どうしたのかと尋ねられ、「わかりませんが、胸が苦しくて耐えられません」と言ったのでした。私は目を閉じ内面を感じると、内面の状態がみえます。くもりや翳っていることの原因を言葉に表わすことが出来ます。原因がわかるとくもりが晴れ、自ずと自分が何をしていくのかがわかります。この時もじっと内面を感じ、みていました。心は翳っていることはわかりながらも、どうしても原因がわかりませんでした。珍しいことです。どんどん不安になり、気も急き、苦しくなるばかりです。冷や汗をかきじっとしていると、先生が「地球で生きていることが苦しいんじゃないの。宇宙で生きればいいんだよ」とおっしゃったのです。予想外のお話を聞き、戸惑うばかりでした。けれど、あまりに苦しくて何も考えられないのです。「宇宙を感じてごらん」と言って頂き、私はどう感じるのですかとはとても聞けず、一人、心の中で「宇宙」と言いました。すると、胸が開いてくるのです。苦しみもとけていくのです。不思議な経験でした。私にはこのことより手がかりがなくなり、何度も「宇宙」と心の中で言い、一日を終えたのでした。
ギリシャから帰国した翌日、母が亡くなりました。私は、胸の苦しみの理由がやっとわかりました。このことを予感し、生きていけないと感じる程の耐え難い苦しみを感じたのだとわかりました。後日、先生から言って頂いた「地球で生きることの限界」を思い知りました。もう、この地球には母はいないのです。
いだきしん先生のコンサートにて無限に広がる大宇宙という表現が生まれる感覚の時には、母の存在を感じられました。錯覚とか思い込みではないことは、はっきりとわかりました。存在とし、はっきりと感じられたからです。私は、魂の存在をわかりました。ところが、大宇宙を感じられない時、母の存在も感じられず、目に見える世界に母がいないことが淋しくて、気が狂うのではと感じる程苦しかったのです。大宇宙を感じる時、地球の限界はなく、この世とあの世の境もない世界が広がるのです。私はここで生きるよりないと身にしみました。大宇宙を感じ生きはじめると、先祖高句麗人の魂や、初代の王 東明王の魂の声まで聞こえるようになり、生きる姿勢を学び、未来への道を示され、大変豊かでドラマチックな人生がはじまりました。
ギリシャでのコンサートでは、古代ギリシャ人の魂がたくさん共に聞いているのがみえました。心豊かな時です。
ギリシャでは、ギリシャ正教の一番の位を持つ神父様にお会いしました。先生の即興演奏のお話をすると、「イエス・キリストのような人なのですね」とやさしく、先生をいたわり尊敬の念を持っておっしゃったのです。人の為、世の為に生きている人は、先生のことが一目でわかるのだと感激しました。私も、人の為に生きている人にお会いした時に一目でわかる人間になり生きようと、心新たにした尊い出会いの時でした。