KEIKO KOMA

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更新日 2010-01-09 | 作成日 2008-03-30

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   24年前、初めて開催しましたいだきしん先生のコンサートは、杉並からだったと記憶しています。ピアノの音は、あっという間に私を人間であることに目覚めさせてくれました。とてもやさしい気持ちに包まれて、心地良い感じを経験し、「これが人間であれば生きていける」と、心の中でつぶやき、聞いていました。誰のことも受け容れていけるやさしい生命を体感しました。感覚や意識は、時に人を嫌がったり、関係ないと線を引こうとします。けれど生命は、誰のことも受け容れ、ひとつになり生きていることを、生まれて初めて体感し、認識したのでした。私は、いだきしん先生にお会いする前、真理を求め、色々な所へ行きました。自分の内にある業を嫌という程感じ、もがき苦しみました。人に迷惑をかけたり、人を傷つけることを最も恐れ、私はどうにもならない自分の業を一生懸命抑え込みました。そして、ある時から、人の為に尽くすことを徹して行いました。自分を捨てて、人の為だけに行動することに徹したのです。けれど何が人の為かだんだんわからなくなりました。自分では、人の為と思っても人には迷惑が掛かることもあります。人の為と思ってやっても自分の気がすむ為にやっていることもあるのです。そうこうしているうちに、すっかり体を壊し、自分の生き方が間違いであったことに気づきました。コンサートにて生命はひとつにつながっていることがわかった時、自分を抑え込み、体を壊している状態は人にも苦しみとし影響を与えてきたことをはっきりとわかりました。コンサートの時感じる心安らかな状態や人と自分の隔てがなく生命はひとつであることを感じられる時、生きていけると希望がみえました。その時、世界中の人がこの経験をすれば、皆しあわせに生きていけるとみえたのです。私はいつも、何かに気づいたりわかる時、みえるという表現をしていますが、実際みえるようにわかるのです。子供の頃から人の内面がみえていました。空間にある光も闇もみえていました。未来からくる光もみえます。みんながしあわせに生きる光景が未来からみえ、私は自分の行く道が決まったのです。コンサートをたくさん開催し、みんながしあわせに生きられる社会をつくると決めたのです。自分が開催させて戴いているコンサートにより、いつも自分が助けられています。乗り越えたい壁も乗り越えられます。生まれて初めての至福の喜び、愛という表現以外にない愛を経験します。この経験をしたら、人が傷つくことは出来ようがないし、ましてや人と争ったり、人の生命を奪うようなことは到底出来ないことを明らかにわかるのです。言葉には限界があります。音楽も生命も民族、言語の堺を超えて世界中の人々共通であると言葉で合意しても、言葉を使っている当人が生命のことを感じられなかったら、生命は生命とし通じていないのです。愛も同様です。私は「愛が地球を救う」というテレビ番組にいだきしん先生が31時間熊本城にてピアノの演奏をすることが決まり、多くの人々に呼びかけ協力を募っている時、あなたが言う愛はどの様な愛ですかとよく質問されました。私は「愛は愛です」とよく答えていました。言葉では通じ合えない限界を、コンサートで共に経験しましょうと言うよりなかったのです。そしてコンサートが終わると、言葉は通じてくるのです。「愛を経験しました」と多くの人と泣いて語り合えるのです。その時に互いに表現している愛は、通じ合えていることも実感出来ます。私は、愛を経験し、生命のはたらきや尊さ、皆の生命とひとつにつながっていることを世界中の人とわかり合えるいだきしん先生のコンサートをたくさん開催したいのです。