何年前のことだったでしょうか。
随分前だったように感じています。私は、ある時、突然、10代の頃毎日書いていた詩を全く違う名前で詩集を作りたいと、ふと生まれた気持ちに戸惑いました。私にとり10代は、灰色の人生と記憶しており、人にも話したくもないし、まして詩を表に出していくなんて考えたことも想像したこともないのです。馬鹿な事を何故一瞬とて思ってしまったかと、すぐに押し込めてしまいました。ところがある時、いだきしん先生と話している時、話すつもりもなかったのですが、胸の内にときめきが生まれ、瞬間口をついて出た言葉は「先生、私に良いペンネームありませんか」と言っていたのです。先生はすぐに「れいか」とおっしゃいました。私は「どんな字を書くのですか」と尋ねました。れいは「麗」です。高麗の麗ですから私は心からうれしく、又、光栄なことと頭を垂れる気持ちでした。「か」は「花」と「華」とどちらがいいのと聞かれました。私は、「華」を選びました。理由はいだきしん先生にお会いして間もなくの頃、私は、先生御夫妻が仲人をされた結婚式に招かれたのです。先生が月に一度開かれていた勉強会でお会いした方で、お会いしたばかりで、まだお付き合いも浅い私を招いて下さったことが驚きであり、私は緊張して出掛けました。当時、本音もわからず、大変不安定な状態でしたので、人前に出たり大勢の人の中に出掛ける事は、恥ずかしく、不安でした。人前に出る様な状態ではなかったのです。そんな私なのに、会場では、先生の一番下のお子様の幼い愛ちゃんの面倒をみる役割を与えて下さったのです。エレベーターの中で、先生の奥様の晴美さんと長男の克哲君に会いました。奥様は大変美しく、克哲君は、小学生で三つ揃を着てリュックを背負っていました。その光景を見、涙があふれました。今でもその光景を思い出すと涙が込み上げます。私はその時、一生懸命生きている人の美しさと、愛を感じたのです。精神不安定な私がどのように愛ちゃんをみていたかは全く覚えていませんが、笑美ちゃんからそのことを聞き、思い出したのでした。そんな結婚式の後、先生にお会いした時、「ひとつだけ良い所みつけたよ」とおっしゃり「結婚式の時、一番端に座っていたけれど、誰よりも華やかだった。あなたには華がある」と話して下さったのでした。私は、とってもうれしくなり、心に光が灯ったのです。生きていこうと喜びが生まれ、生きていく手がかりをみつけられたように感じたのです。私にとり「華」は、生きる支えでした。「麗華」と決まり喜びました。
その後何年も経ち、克哲君が10代の頃の詩を作品にして下さいました。
その時、先生に「書」を書いて頂いた時、「麗花」と書かれていたのでした。その書を見た時、私は「わぁー」と声を上げ、無条件に喜びました。少し経った時、「華」を思い出しました。けれど、その時既に「麗花」の書が私の心に生きていたのです。「麗」は愛があり美しいこと。花は心の花でもあり生命の花でもあります。私は、生命の光景を詩にあらわすようになり、いつも見える光景は「花」です。それも生命の内に咲く花です。大宇宙に咲く花は、私の生命の光です。
生まれた気持ちが今「麗花」となり、心よりうれしく、ありがたいばかりです。
「世界中の人と「人生にありがとう」と言える時の為に・・・」麗花の本音です。