高句麗発祥の地五女山城は、2004年に世界遺産に登録されました。
1998年に初めて行った時は、山道を歩き、突然あらわれた城壁を見た時、心臓が止まる程と表現したい衝撃を受けました。2006年10月に、8年ぶりに行き、更に翌年2007年10月に行った時、世界遺産に登録された後でしたので、観光客の為に整備された道路が出来ており、五女山城のある五女山登山口入口には、立て看板がありました。中国人のガイドさんが、五女山は昔、天へ天へと伸びる木という意味の名前だったと教えてくれました。私は思わず「いだきと同じですね」と叫ぶと「そう同じね」と笑っているのです。意味が通じてそう返して下さった様には感じませんでしたが、私があまりに喜んでいたので、一緒になって喜び笑ってそう答えてくれたのでした。私は大変不思議な感覚に包まれました。そして五女山の999段の階段を登りながら、五女山はいだきと何度も口ずさみ、歩いていると、胸の内がすっきりとし、清められ、まるで天から一条の光が差し込み、生命の中心に柱が立ったように感じました。「いだき」と声に出し言っていました。ゆっくりと999段の階段を登り、門跡を通り抜け、雲海松濤台という所で一休みしました。雲海が目の前に広がり、まるで天国を見ているようでした。ガイドさんは「雲海が見える日は滅多にないから今日はラッキーですね」と言いました。私はじっと雲海を眺めている時、再び不思議な感覚に包まれました。昔こうして眺めたことがある感覚なのです。その時、高句麗初代の王 東明王は、この険しい山の城をどんな気持ちでいだきと同じ意味の名前をつけたのだろうと考えました。その後、山を歩きながらずっと考えていました。龍の爪と呼ばれる五女山を囲うようにある湖を眺めている時、天の子東明王は、未来を見ていたことがよくわかりました。2000年前に未来を見、五女山城をいだきと名付け、2000年後に私がいだきの仕事をするようになり、東明王の地を訪れているのです。生命の中心に2000年前と今が重なり、ひとつになったのです。その時、私は、1000年、2000年後の未来を見、エチオピアへ行ったのだと見えました。いつも未来を見、子孫が生き延びていく為に生きた人の魂は、時を超え生き続けるのだとはっきりと体感したのです。国は滅んでも、魂は滅ぶことはないのです。今こそ五女山の名が意味する天へ天へと伸びる木が生命の中心に立ち人類の待ち望んできた永遠の愛が実現出来る時を迎えました。この歴史的大転換であり、新しい歴史をつくる今、生命あり生きられることがいつも震える程ありがたいのです。色々な出会いにより一本の道がみえると同時に未来までもみえるこの人生、感謝し尽せません。