KEIKO KOMA

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更新日 2010-01-09 | 作成日 2008-03-30

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   私は、「大地の声」という催しを行なっていますが、この度5月20日より23日までの4日間、京都にて心模様作品展を開催させて戴き、最終日の23日には「大地の声」を開催するという機会を与えられ、やっと「大地の声」を行なっている意味がわかってきました。いつも本音の表現により道を作ってきていますので、生まれた本音は実行します。「大地の声」もいつの時にか「詩と語り」から「大地の声」と書き、パンフレットを作ったのでした。いつもまわりの人からは驚かれますが、パンフレットを作ってから、「大地の声」では何をするのかを考えるのです。私は世界各地を歩いていると、特に歴史ある地に立つと、大地の声が聞こえます。実際声が聞こえる訳ではありません。光だったり、あるエネルギーだったりしますが、私は光やエネルギーを言葉にする能力が生まれながらに備わっていたのです。24才の死の淵にある時、いだきしん先生に出会ってからは、更に引き出され、成長し、詩にあらわすようになりました。学ぶことが多く、人生変わる程の経験をします。特に忘れがたいことは、父母を亡くし、悲しみを乗り越えたくて先を作っていく為に高句麗のルーツを辿り、フェニキアの地レバノンに行きました。フェニキア9000年前の都市ティールの遺跡を歩いている時、亡父の魂に会ったのです。魂は永遠であることがわかり、私は一遍に元気になり、内面を中心とする新しい人生がはじまりました。その瞬間、「美は永遠」とわかり、言葉にした時、悲しみ嘆くこともなくなり、永遠に生きる人生となったのです。又、ティールでは真実を教えて下さいと心の中で言っていると、「真実はわかる人がいれば語られる」と聞こえたのです。お腹の底から笑いがこみ上げ、希望が生まれ、未来を抱き歩いた夕暮れ時の風と大地を忘れることが出来ません。大地は真実を知っているとわかりました。そして私は真実がわかると体中から力がみなぎり、元気になるのです。内面が豊かに深まり、能力が引き出され不可能なことを成し遂げていく力も運も備わってくるのです。私にとり「大地の声」は人生変わる衝撃的な出会いばかりです。
 日本では、いだきしん先生のピアノの即興演奏と共に私が「大地の声」を詩に詠みます。当り前ですが、わかる人はわかり、わからない人はわかりません。このことが素晴らしいといつも感じています。ティールにて聞こえた「真実はわかる人がいれば語られる」ということの意味がよくわかるのです。わかる人には語られ、わからない人には語られないのですから、日本でのイベント「大地の声」も同様なのでしょう。
 京都の大覚寺、大沢池の畔にて大地が語る言葉を書いている時、私は真剣に心を澄まして大地の声を聞こうとしました。その時、天のはるか向こうで生き、古の光景と風にふれたら自ずと真実に気づくことに気づいたのです。ですから、いだきしん先生のピアノの即興演奏により天はるか向こうに抱かれ生き、私の詩で古の光景、風にふれて頂く「大地の声」は、一人一人が真実に気づき、魂覚醒する場であるのです。正確に言うと、私の詩は古の光景でありながら、今でもあり、未来でもあります。時空を超えて生きる魂の声だったり、未来から来る光だったり、大地の声だったりします。魂覚醒の場なのです。真実は教えられても気づくものでもなく、まして魂は覚醒出来ません。自ら気づく時、魂覚醒し、人生変わっていけるのです。京都にて、「大地の声」を開催している意味がわかった今、これからどうなっていくのでしょうか。未知なる世界に心はときめきます。