「悪とは闘うことはない。まるで別次元のことだから」と、トラキアの古墳の中に入った瞬間聞こえたメッセージは、私に一筋の光が差し込まれたようでした。2年の月日が経ち、やっとその事がわかり生きる状態を経験しました。それは、宇宙の中心に生きる生命を体感した時に抜け出せたのです。私の生命の光景は、天のはるか向こうとひとつに新しい次元で生きる生命の輝きがあらわれていました。ところが、わずかに闇の世界が重なるように引っかかってくることが気がかりでした。生命は、新しい世界や次元で生きているのだから、徹しようと心してはじまった新しい日々は、早くに闇の世界から引っかかるものがあらわれ、わずかに曇る心を何とかしようと考えれば考える程、焦り、イライラしてしまうのでした。宇宙の中心で生きる生命を体感した時、何ひとつ雑念も浮かばず、心配もない光あふれる世界でした。ふと、闘いの意識が心を曇らせていくことに気づきました。
いだきしん先生から、比較、競争する意識は、いらないものだとお聞きしていました。私は、子供の頃から比較されることを嫌い、比較されない程ダントツになればいいと考え、集中し物事に取り組み、ダントツになろうとしました。生まれつきの運とし、私にあるものと言ったら、勝運ではないかと感じる程、私は勝負事と賭事が大好きでした。子供でしたから、賭事といってもトランプやゲームですが、私には勝運がみえていました。必ず勝ちました。又、バレーボール大会の時も、チームキャプテンを務め、勝ち抜くまで皆を引っ張っていくのでした。負ける位なら最初からやらない方が良いと考えていましたので、勝つことより考えていませんでした。珠算大会、暗算大会と競争になると尋常ならぬ力がはたらき、必ず勝つのです。いだきしん先生に出会い、勝負によって平和な世界は作れないことはよく理解していますが、私は競争や賭事が大好きな癖が残っております。いだきの事も、決して負け犬にはならないと決め、いつも頑張れるのです。私は、先生にお会いしなければ生命はありませんでしたが、もし生きていられたら賭博師になるのが一番能力を発揮したでしょうと感じています。
20年近く前になりますが、先生のCDをアメリカでリリースする為にロスアンジェルスに毎月通っている時、ビバリーヒルズとハリウッドでのパートナーシップを結んだ人に、先生が「彼女はラスベガスに行けばすごく稼げる人」と話した時、2人共瞳を輝かせ、行きましょうと誘いかけていたものでした。
いだきをはじめる前の営業の仕事にてトップになったのも、競争が好きだからという気持ちが少しあります。比較されない程ダントツになるという子供の時の気持ちが蘇えり、頑張ったのでした。けれど時は変わり、比較したり競争することを失くし、創造的に生きることが生き延びる時となりました。私はこちらの方が好きです。ところが、わずかに残る競争意識が、自分を小さくしていることがやっとみえるようにわかりました。
高句麗を一挙に拡大した好太王は、誰よりも強く、いつも陣頭指揮を執り戦に出、負けを知らなかったと聞いています。私は、好太王には勝運がみえていたのだと感じています。今を生きる私にでもみえるのですから、生死を分ける生命賭けの戦においてみえない訳がないのは明らかです。天のはるか向こうでは、比較も競争も必要なく、一人一人が光輝いて生きていけるのです。闇に引っかかることなく、愛を表現していくことに集中してこそ生き延びられる時を迎えているのです。
これからは、宇宙の中心に生き、愛をあらわし生きていけるのです。
想像もしなかった美しい世界で生きる時を迎えられ、身が震えます。