新緑の頃、湯ヶ島へ行き、夜はいつもの詩会がはじまりました。
カレンダーの裏の白紙に、一人一つずつ詩を書いては、発表します。そして又、詩を書き、発表し、白いところがなくなると詩会は終わるのです。あの頃よくやっていたのは、花にたとえたら何の花かを互いに言い合っていました。私は、5月生まれということもあり、いつもバラの花にたとえられていました。正直なところ、自分ではピンときていません。詩を書く事が苦手な友達はペンペン草にたとえられていました。いかに詩の表現が苦手かは会わなくても想像がつくことでしょう。
私は、子供の頃、すみれの花が無性に好きでした。家の近くにある山(私はそう呼んでいましたが、実際は山とは言えません)に行き、すみれを見つけるとうれしくてうれしくて狂喜する私でした。どんなに好きでも、お花を摘んでくることはしません。いずれ枯れてしまうことが可哀そうで摘めませんでした。只、蓮華の花だけは、無心に摘んで首飾りを作ったことがあります。蓮華の花をひとつひとつ摘むことで、とてつもなくなつかしい気持ちになり、誰かに贈るつもりで夢中でした。けれど贈る人はいませんでした。自分の首にかけても仕方ないことを知り、だんだんしおれていく花を見て、申し訳ないと感じ、それ以来やめました。
お花って不思議ですね。風に揺れる光景と香りから遠い昔を思い出すのです。けれど、遠い昔でありながらも、これから先の未来に心を馳せ、何かに会える予感が生まれるのです。すみれの花も蓮華の花も古の香りがしました。いだきしん先生に出会い、自分の事がわかっていく喜びは、子供の頃すみれの花を見つけては狂喜した時のようでした。蓮華の花が風に揺れる光景は、高麗若光王、そして古の高麗人、歴史を呼び起こします。風は、五女山までも…。