今から20数年も前の応用コース(当時の第3コース。当時いだき講座では第1コース、第2コースと分かれていました。第3コースは現在の応用コースです)の時です。場所まで覚えています。武蔵野市民会館の一室で、先生は、歴史の縦軸と横軸のお話をして下さいました。私は、歴史の縦軸であり、先生のはたらきが空間の横軸であり、その交差するど真中にいるのが、いだき講座を受けた一人一人であるという内容でした。いつも恥ずかしいのですが、私は、お話を聞いた後に、様々な経験をし、様々なことをのり越えていくプロセスの中で、先生のお話が深くわかっていけるのです。私の記憶は、衝撃的なお話とし、よく覚えていましたが、内容をよく理解していた訳ではありませんでした。よくわかるようになったのは、「高句麗伝説」をはじめてからのことです。
「高句麗伝説」を始める前によくある現象としまして、先生のことはわかるけど、私のことはわからないとか、その逆のこともよく言われました。例えば、「本音で生きて下さい」の講演会にいらして、大変賛同して下さり、コンサートのチケット販売をたくさんご協力下さり、いだき講座まで申し込んで下さった方が、コンサートに参加した後、講座の申し込みをキャンセルすることもあるのです。私は、このケースが一番残念で悲しかったです。けれど、その逆の場合も、出方が違うだけでよく理解出来ずに続かないのです。私は、いつも考えました。その都度、その人自身を受け容れることが出来なければ、自分のことすらわからないし、
成長し、より良い人生は生きられないと感じました。その様に分けてしまっている意識では、全体を捉えられないので、続かないのだと理解しました。いだき講座は根源的な問題の解決を行ないますので、解決の場面においては、あるがままがあらわれます。私の個人的な感じ方としましては、当時男性は、私に対し女性に対する感情があらわれるのだと感じていました。もとは母親に対するある何かのような感じがしています。無視しようとする人、抵抗する人、拒絶する人、わかってほしいと期待する人、様々あります。けれど、いだき講座が進むにつれ、何もなくなり、人間対人間になれることが、とても楽しく豊かな関係になりました。ずっと感じていたことは、人間は存在しているので、在るがままを認めていかないと、自分自身も先に行けず生きていけないことでした。偶然、偶然の導きにより人類発祥の地まで行くことが出来、エチオピア「天命」コンサートにて人類最古の人骨が映し出された時、男女の性差の境までも解かれ、自由を経験しました。源は皆ひとつであり愛であることを我身をもって経験出来、「高句麗伝説」ははじまりました。様々な劇的経験により、歴史の縦軸ということの意味が深くわかるようになりました。だから、もっと自分を正確に表現していこうと考えています。
自分を表現すればする程、自分を活かせば活かす程、いだきしん先生のはたらきがわかってきました。人間は、自分を表現する時に、人のこともわかり、認めていけることを身にしみました。人がどうかではなく、自分を表現することで答えは生まれ、状況を変えていけます。この素晴らしい人生を生きられることは、空間である いだきしん先生のはたらきがあるからとよくわかっています。常に自分が何をしていくのかを考える時、胸の痛みもやわらいでいくのです。自分がまずちゃんと生きて、正確に表現し、自分を活かし生きたその先にある世界が平和とみえる今日此の頃です。