KEIKO KOMA

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更新日 2010-01-09 | 作成日 2008-03-30

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   母は、私が母のお腹の中にいる時が、人生で一番幸せな時だと言っていました。又、私が喜ぶ笑顔を見る時が一番の喜びと言っていました。
 不思議なことに、私が台所で食事の後片付けをしていたり、家のお掃除をしていると、こんなことさせて申し訳ないと言うのでした。ある時、普段はしないのに、何となく勘がはたらいて御飯を炊いておいた時、母は、本当に助かったと、大喜びだったのです。私も母の喜ぶ顔が見たくて、少しでも何か気づいて母が助かることが出来ればうれしかったのです。
恵子は、笑っていればいい、とよく言いましたが、私は、いだきしん先生にお会いする前は、会う人全てに「瞳が悲しみに満ちている」と心配されたのでした。自分でも何がこんなに悲しいか、心当たりはないのですが、胸の内は、悲しみで一杯でした。先生にお会いし、この悲しみは先祖高句麗の歴史の悲しみであるとわかった時から、私の瞳の悲しみは消えていきました。免許証の書き替えの時の写真にあらわれていました。3年毎に変わる写真に写る私の瞳の輝きが、悲しみから希望と変わっていきました。瞳は心の窓とはよく言ったものです。
 先日、愛ちゃんが私の部屋に飾ってある母や家族と写る私を見た時、
お人形みたいにきれいと言い、何才の時の写真ですかと尋ねてきました。
多分、22、3才位と答えると、驚いて、「今の方が若い」と言ったのです。私は、大喜びしました。過去の歴史を受け継ぎ、生まれもっての運命から解かれ、自分を見出し、活かして生きる人生は、日々生まれ変わる様に変わり、元気に生きられることは、本当に幸せなことです。今日の生命の光景は、麗わしの花から大宇宙に輝く星となっていました。面白いことがはじまりそうです。
5月12日「高句麗伝説」何が起こることでしょう。
皆が喜び合え、幸せに生きられることが、皆の喜びであり幸せなのですね。
昔も今も、そしてこれからも・・・