私は生命の光景がみえます。あまりに美しい世界を描いていきたい気持ちから詩を書いたり、心模様作品とし生命の光景をタペストリーや額、ブローチ等に描く様になりました。私は大変美しい花が咲いた様に見える時「麗わしの花」と詩に書きます。その花は目に見える世界で咲く花ではありません。無限な世界に輝く華ですから、どんなに大きなタペストリーであっても描ききれるものではありません。「麗わしの花」はえもいえず美しく風薫り、美しい香りまで感じるのです。その光景を私は「麗花」と名付けるようになりました。数日前みえた生命の光景は麗花ではあるのですが、少し違うのです。麗花が成長し、大人になったような「麗わしの花」と私は書きとめました。この様な表現しか出来ない自分を情けないと感じつつも、はじめて見たこの美しい世界でありこの大きな麗しい華を表現する言葉があるのでしょうかと考えました。その日は言葉を見つけることが出来ず、残念ながらそのまま麗花が成長し、大人になったような花と書きとめたままで終わりました。
目白での「大地の声」の感想文を読んでいる時、「高麗恵子さん」という文字が心に入って来ました。瞬間この人のことだと叫んでいました。「高麗恵子」という4つの文字があの光景にピッタリだったのです。次の瞬間、一人で笑いました。麗花が成長し大人になった様な花とは私ではないかと気付いたのでした。いつも幸せな人だと人に笑われますが、私はその光景を見た時、見たこともない世界であり、芳しい香りが風となって美しい光を放っている聖なる美しさに胸がドキッとし高鳴ったのでした。この光景が表にあらわれる時、新しい世界となっていると感じる程胸が高鳴ったのです。
一人一人が真の自分が輝き生きられる社会は平和な世界と宣言し、世界各地にてコンサートを行ってきた事が、今、現実の事とし実現に向かえる時が来たと、ほのかな喜びが生まれました。本当は飛び上がりたい程の喜びでした。けれどまだ実現出来ていないので大喜びは出来ません。これから賢く生き、真の華、真の自分の花がこの世の中で咲く時・・・と日々生命の光景を言葉にあらわし、心模様にあらわし、行動にあらわし、生きて参ります。