トップページに流れる、高句麗の原風景を思い起こす音楽を聞くうちに、思い出すのは五女山、丸都山城、鴨緑江、好太王碑、将軍塚・・・。
10年前の5月は、将軍塚にしゃくやくの花がたくさん咲いていたことを思い出し、今頃は、緑輝き、しゃくやくの花が咲き、美しい季節を迎えている頃でしょうと心に描いていました。
ふと気づいたのですが、緑輝く5月と、8月の暑い盛りに、延々と車にゆられ五女山まで行ったこと。山々が赤、黄、茶と色とりどりの光の華が咲いた様に、美しい秋の五女山。そして凍てつく寒さ氷点下10数度の冬の頃と、私は高句麗の四季を見て来たのです。不思議なことです。旅は春や秋の気候の良い時を選ぶようにしているのですが、故郷高句麗の地には四季を通し行っていたのですね。そんなことが妙にうれしく、誰かに話したくてたまらないのです。10年前は、水も出ないホテルで夏の暑い時、シャワーも浴びることが出来ずに過したのでした。2年前の秋の時は、お湯が出ず、夜は冷え込みましたが、そんなことは何のそのと、心はあたたかかったのです。そして、昨年の秋には、五ツ星ホテルが出来ていて、初めて五女山のふもとでお風呂に入ることが出来ました。
10年の年月は、故郷の風情を大きく変えるものです。
世界遺産に認定されましたので、国内城跡も10年前は歩けましたが、今は囲いが出来、歩くことはおろか入ることも出来なくなりました。国内城跡を歩いた時は楽しくしあわせでした。家族のぬくもりを感じ、血が通っている人間であることをしみじみ感じ、うれしかったのです。何の脈略もないのに、高句麗の地で過した瞬間瞬間を思い出すと、心がときめくのは何故でしょうか。
今日は、川辺に立ち、写真を撮ってもらった時の瞬間のことを語りたくてたまらないのです。昔、高句麗人が歩いていた地と感じました。この川のせせらぎの音は、妙に懐かしく魂動き、涙までにじんでくるのですから・・・。
人間が生きることって計り知れないものがあります。その土地に立つと、人が生きていた息吹きを感じ、その地のエネルギーを感じていると、どういう人が生きていたか感じられるのです。
高句麗の地は、気候もはっきりしていますが、気質もはっきりしています。何かとても清々しくてさわやかで、潔い空気にふれていると、一言「美しい」という言葉になるのです。
私は、いつもこの美しさをあらわしたいのです。この美しさをあらわしている時は、とってもしあわせです。
美は永遠であります。永遠に生きる今、今が楽しく心ときめくものだと感じていますが、未来を予感しときめく今、毎日表現することがとってもうれしいです。