10代の頃、何度京都へ行ったか知れません。宇治に行ったのは、何才の時だったかよく覚えていないのですが、夏の日の夕暮れ時の光景はほんのり覚えています。そして、はっきりと思い出した光景があります。それも突然蘇ったのです。
今年の3月。30数年ぶりに宇治へ行きました。小説「麗花」を書くにあたり、どうしても行きたくなったのです。雪がちらつく様な寒い日でしたが、平等院に行った時は、青空が広がり、あたたかい陽差しがやさしい夕暮れでした。砂利道を歩いていると、ふと感じた香りから突然、蘇った光景があります。蘇ったと同時に、私はその地に向かい歩きはじめました。知らないはずの道ですが、私は知っている様に歩き、その場所に行き着きました。30数年前、暑い夏の日の一日が終わり蝉の声が聞こえ、静かに陽が沈む時を迎えようとしている時、夏の風にほっと暑さがやわらぎほっとしていた私は、ある建物の前に行った時、思わず「ごめんください」と声をかけたのです。観光用の建物ですから、人がいる訳がないことを知っているのに、私は、声をかけずにはいられなかったのです。縁側に座る3人の女性をみました。きっと私だけがみた女性の姿でしょう。30数年経った今、私は再び「ごめんください」と言いました。当時と全く同じ光景でした。このことがあってから私は小説を書きたくなったのです。関係があるかどうかはわかりませんが、紫式部が源氏物語の続きを書こうと宇治に住んでいたということが書いてある本を最近読みました。又、私が10代の頃歩いていた地は、源氏物語の舞台になったところが多いこともその本を読んで気づきました。
前にも読んでいたのでしょうが、最近気づいたのです。私は、出会う時にわかるといつも表現していますが、以前から知っていることも出会った時はじめて知ったように驚くのです。私は、書道には、ずっとふれていました。やってきましたとは言えないのですが、10代の頃は書道が人生のお供でした。1998年北京の博物館にて美しい書に魅せられ、時を忘れて見入っていました。懐かしい香りがしました。まるで父に会いに行くように自分の源とはきってもきり離せないつながりを感じていました。
昨年、墨も筆も和紙も高句麗伝来と聞き、納得しました。本当は、前から知っていたのです。けれど今知ったかのように驚き、納得したのです。出会った時が時なのだといつも感じます。
30数年前に見た光景と全く同じ光景に出会い、これから歩む小説「麗花」
の道のりが自分でもときめくのです。