昨夜、詩会の後に雅スペースに行った時、いだきしん Divine Ages DVD Vol.1「シナイ山」が流れていました。光あふれるシナイ山の映像と音楽の聖なる美しさに深く感動しました。同時に色々なことを思い出しました。行った時の事もそうですが、何年か経ち母が心臓破裂と心筋梗塞で倒れ、約40日ICUに入っている時、毎夜電話が鳴ると、病院からではないかと心臓が凍てつくようにドキッとし、物音におびえている時、この「シナイ山」のビデオ(当時)を見ている時だけは、心やすらぎ、生きた心地がしたのです。
母には、申し訳なかったのですが、母が一度あの世に行ったという経験をした時、私は、母がこの世からいなくなったと感じ、生きていけないと暗闇に落ち、大阪からの最終便の飛行機で東京に着き、母のいる病院に向かう道中、人目もはばからず、その場にしゃがみ込み、しゃくりあげて泣いてしまったのです。幸い、いだきしん先生に助けられ、生き還ってくれましたが、いつ心臓が止まるかわからないと医師から聞いていたので、毎日ビクビクしていました。母がこの世からいなくなったら生きていけないと感じていたのです。そんな時、「シナイ山」を見ると、この世界なら生きていけると、やすらぎを感じたのです。当時、時々口をついて出ることは、私は、年をとって、人生最後の時にはシナイ山で暮らしたいと言っていたのです。先生から、あなたに暮らせる訳がないじゃないと言われると、現実的に考えれば確かに暮らせないことは、明らかなのです。今考えれば、永遠の世界であれば生きられると感じていたことがわかります。私は、いだきしん先生の撮影されたシナイ山のビデオが大好きで毎日見ていました。父母が亡くなった後、悲しみの淵にある時、毎夜見ていました。ここだけが私の生きていける世界でした。あまりに素晴らしいと感じ、全国各地をまわり講演会を行う時、シナイ山の上映会をしていました。ほとんどの人は寝てしまいました。現代人の悲しみをみました。永遠に生きる魂取り戻すことが日本の未来をつくると同時にみました。私は、永遠の世界で生きることなしに生きている意味を見い出せないのです。