京都での、私の心模様作品展の設営に行く前にホテルにチェックインしてから行こうと、ホテルに向かっていました。なつかしい京都の町並みが見えてきました。私が入院中の父に出した葉書の写真のところを通りました。それは鴨川ベリです。麗花の詩に「父も歩いたであろう鴨川ベリを歩く」と書きましたが、私にはそう感じた光景があったのです。偶然にもその葉書は、父が亡くなった後に残っている唯一のものでした。父が生きている時も、亡くなってからも、この光景を見ると、とてつもなくなつかしくなり、胸が動き、涙が込み上げてくるのです。少し道をまちがえて、偶然この光景の所を通り、ホテルへ着いたのでした。翌朝、窓を開け、外を眺めた時、「あの光景」が胸にとび込み、私はドキッとしました。そしてよく見るとあの光景だったのです。偶然にもあの光景の近くのホテルだったのだとはじめて気がつきました。何度も泊まっているホテルなのに、今までは道順が違っていたので気がつかなかったのです。私は父に導かれているように感じてなりません。それは父でもあり、先祖高句麗人でもあります。
私は、3月に大覚寺に行った時にDVD「麗花」にて詩を読んでくれている三人の女の子(女性と言った方が良いのでしょうが、あえて女の子と言わせて戴きます)を、ここに連れて来てあげようと感じました。それはいつもの様に、実行に移しました。本当は4月と考えていましたが、都合が合わず、作品展の会期中に合わせて招待しました。私は父が招待しなさい、と言っている様に感じてならなかったのです。以前にも不思議な事がありました。東京の応用コースの時に、いだきしん先生は学生時代にクラリネットを吹いていたというお話をされていました。その時なのです、明らかに亡父の声で、「ようし、それを買ってきなさい」と私に言うのです。父の声と言っても、生きている人が話す様な声ではありませんが、存在とし父であることはまちがいないことを、私は、はっきりとわかったのです。私も父が言うのだから、クラリネットを買おうと決めました。そして帰宅した時、郵便受けに一通の通知が入っていました。開けると、なんと、父の相続税の還付金の通知だったのです。私はたいへん驚きました。父はクラリネットを買うお金までも用意してくれたのです。私は、そのお金でクラリネットを買い、いだきしん先生にプレゼントしました。そのクラリネットは、あの前代未聞のイラン・ペルセポリスでのコンサートの時に吹かれました。感動的でした。イランの人が口々に「あのクラリネット、良かったね」と喜んでいると、私は嬉しくてたまりませんでした。ペルセポリスコンサートの前日に、レバノンでの「高句麗伝説」コンサートが決まったのです。海外で初めての「高句麗伝説」コンサートでした。私には魂の導きであることは、まちがいないと感じています。
そして、このたびの京都での出来事も、まちがいなく魂の導きなのです。そうでなければ京都で作品展を開催すると言う発想は生まれませんでした。未来から場所まで示される様に見えると同時に、生まれた本音を表現し実現したのです。私はとんでもなく未来が開かれる兆しにときめくばかりです。